合併から消滅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 18:27 UTC 版)
「アドルフ・ザウラー」の記事における「合併から消滅へ」の解説
1982年スイスのトラックメーカーであるフランツ・ブロジンセヴィッチ・ヴェッツィコーン(Franz Brozincevic Wetzikon)と合併し、アルボン商用車共同体 & ヴェッツィコーン社(Nutzfahrzeuggesellschaft Arbon & Wetzikon, NAW)を設立。その後ダイムラー・ベンツがNAWを買収したことにより、ザウラーと並行でメルセデス・ベンツトラックの製造を開始している。しかし、ザウラーの需要が下がったことによりザウラーブランドの廃止を決定。エンジン開発部門はイタリア、フィアットグループの商用車部門となるイヴェコに引き継がれている。最終的にNAWも2003年に清算された。 1990年以降、ザウラーAGとして繊維機械製造に注力しており、売上高16億ユーロ、従業員数9,000人を擁する世界有数の繊維機械メーカーとなっている。2007年にエリコンにより買収されたことで傘下入りしており、2012年12月3日に中国の金胜粮油集团(Jinsheng Grain and Oil Group)に繊維機械部門を約6億5,000万スイスフラン(約760億円)で売却し、社名をザウラー(Saurer.)に変更し現在に至る。
※この「合併から消滅へ」の解説は、「アドルフ・ザウラー」の解説の一部です。
「合併から消滅へ」を含む「アドルフ・ザウラー」の記事については、「アドルフ・ザウラー」の概要を参照ください。
合併から消滅へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:07 UTC 版)
「ヴァナヤン自動車工場」の記事における「合併から消滅へ」の解説
1964年、VATはより強力なパートナーを求めた結果、スカニアとの交渉に入っており、バナヤ車にスカニアエンジンを搭載することを計画。しかし、その計画は小規模な車両メーカーであったVATには金額的負担は重く、交渉は纏まらずに終わっている。この結果を受けVATの株主はSATとの統合に関する話を始めており、その後、VATの会長は、SATのGMであったネスリングと定期的に会合を行っている。1967年、スカニアはVATへの関心を再度表明し、ドイツの商用車メーカーであるドイツAGもVATとの協力またはVATの買収に関心を示している。 筆頭株主である45%の株式を持つフィンランド政府は、1967年12月にネスリングへ合併を提案。VATの財政状況から存続が不可能であった。1968年の終わり、両者は合併に署名し、フィンランド政府はSATの17.2%を所有し3番目となる大株主となっている。 合併に対する顧客の反応は様々であったが、大多数の国民は限られた市場で大規模な自動車メーカーとなるには2社の合併は必要であったと理解を示している。 1960年代にターミナル・トラクターの製造を開始。革新的なデザインもあり世界的に有名となった。 1971年と1981年には路面電車用台車を製造。 1985年、同社は車軸の製造をヘルシンキからハメーンリンナの新工場に移設。1995年に、シス・アクスル(Sisu Axle)として独立。フィンランド政府は1996年に親会社から分離させ、名前をパトリア・ビークルズ(Patria Vehicles Oy)に変更。現在はパトリアAMV装甲兵員輸送車の製造を行っている。
※この「合併から消滅へ」の解説は、「ヴァナヤン自動車工場」の解説の一部です。
「合併から消滅へ」を含む「ヴァナヤン自動車工場」の記事については、「ヴァナヤン自動車工場」の概要を参照ください。
- 合併から消滅へのページへのリンク