合併してチェシー・システムへ、そしてCSXへ
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「チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「合併してチェシー・システムへ、そしてCSXへ」の解説
C&Oは利益を計上する鉄道であり続けた。1963年、サイラス・S・イートンの指導に従い、新たに鉄道の合併の動きがはじまった。相手はボルチモア・アンド・オハイオ鉄道である。ふたつの路線のサービスや人的資産、機関車や車両、施設が徐々に統合されていくことは、より強固な鉄道システムを作り出す。ヘイズ・T・ワトキンス・ジュニアのリーダーシップのもとで、C&OとB&O、そしてウェスタン・メリーランド鉄道はチェシー・システムを持株会社とする鉄道会社となった。この名称は、長らくC&Oを指し示して呼びならわされていたものであった。起源は1933年の広告にネコを描いたためという。 ワトキンスの念入りに将来を見据えたリーダーシップの元で、チェシー・システムは1980年にシーボード・システム鉄道等の持株会社、シーボード・コースト・ライン・インダストリーと合併し、CSXコーポレーションとなった。両社が保有していた鉄道は、段階を経て、最終的に1987年にCSXトランスポーテーションとなった。 1999年には、コンレールの資産の42%と約3600マイルの路線を取得し、アメリカ東部における4大鉄道会社のひとつとなり、現在に至っている。
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