合併してその後とは? わかりやすく解説

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合併してその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:29 UTC 版)

岡崎村 (神奈川県)」の記事における「合併してその後」の解説

1957年昭和32年3月9日 - 大句、馬渡から通学している小学生91名のうち32名(新入生3名を含む)の父兄から「いままで岡崎小に通学したいから」と区域通学申し入れ平塚市教育委員会にあり、区域通学望んでいる理由は「こんど通学する伊勢原小が非常に遠くなり、子供達徒歩通学が困難」というものであった平塚市教育委員会伊勢原町教育委員会解決を図るが、4月5日始業式伊勢原町大句地区学童30人登校始業式学校側黙認したが、翌6日午前11時、登校してきた大句地区学童30人の前で校長が「平塚市教育委の指示学籍のない児童受け入れることはできない。」と帰宅言い渡し同日午後1時30分から同校父兄出席求め伊勢原小学校就学するよう説得した4月15日 - 伊勢原町大句の学童30名のうち病欠1名を除いた29人が、伊勢原小学校登校した1958年昭和33年1月2日 - 岡崎小学校電話架設される。局番伊勢原137番(甲)で、市役所岡崎出張所回線共同使用するものであった1959年昭和34年3月 - 岡崎農協有線放送設備完成する。(昭和48年廃止1964年昭和39年5月31日 - 平塚市内の電話午前0時をもって電話自動ダイヤル化される岡崎平塚市内であるにもかかわらず伊勢原局番の手動式であったので平塚市金目局(58局)に変更された。行政区域電話加入区域一致させられた。(伊勢原町の大句、馬渡地区翌年12月7日午後3時電話自動ダイヤル化、伊勢原局は(95局)に変更。) 1964年昭和39年11月7日 - 平塚市役所岡崎出張所閉鎖される今後岡崎公民館連絡員駐在員配置して行政事務にあたらせた。 1965年昭和40年10月31日 - 平塚岡崎郵便区が長らく伊勢原郵便局管内であったが、金目郵便局管内現在の平塚西郵便局)に変更された。 その後2006年平成18年9月25日平塚西郵便局から集配業務平塚郵便局移管された。 平塚市岡崎郵便局開設されたのは、1975年昭和50年3月である。 1971年昭和46年4月1日 - 中郡伊勢原町市制施行伊勢原市となる。

※この「合併してその後」の解説は、「岡崎村 (神奈川県)」の解説の一部です。
「合併してその後」を含む「岡崎村 (神奈川県)」の記事については、「岡崎村 (神奈川県)」の概要を参照ください。

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