各部品の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:53 UTC 版)
エンジンと駆動系 保存されていた空冷エンジン2基はどちらも1926年仕様(図面番号O-102)に近いもので、2基のトランスミッションも含めそれぞれ互換性もあったため、機関番号が残っていたエンジン1基(No.58K)をベースに補完修復(ニコイチ)が行われた。 エンジン、トランスミッションともに、ほとんどの部品は簡単なオーバーホールや油洗ブラッシング程度の処理で再使用可能となり、パッキン類、ベアリング、バルブスプリング等の痛みの激しい部品は同規格品に交換された。点火装置のマグネットについては、保存品はいずれも破損していたため、記録に基づいて澤藤電機製のもの(ただし1941年製)に交換された。 排気管、燃料タンク、プロペラシャフトなどは図面に基づいて新造された。 シャシ 保存されていたシャシフレームは復元仕様に適合するものではなかったため、図面O-301に基づいて、1925年型のシャシフレームが新規製作され、同じくリーフスプリング、車軸、乗車用ステップが新規製作された。この際、記録と推測に基づいて当時の手法を再現して製作が行われている。 ショックアブソーバやエンジンマウントブラケットなど、他の主要部品は修復品を使用している。 なお、復元に用いられなかったシャシフレームは保存継続となった。 ボディ 車体は復元にあたってほとんどの図面を揃えることができたが、ボディ形状は再現するにあたって明確な図面が揃わず、写真と参考図を基に実車の1/5サイズのクレイモデル(英語版)が作成され、形状の検討が行われた。この検討時点で当時の板金技術では作れそうにないと判断して、形状を単純化して製作した箇所もあるという。クレイモデルを基にFRP製の1/5サイズの精密模型が作成され、トヨタ自動車デザイン部で線図測定された。この精密模型は仕上がりが良く、結果として復元車にも良い影響を与えたという。 木製の骨組み部分は図面の通りに新規製造された。 ボディ前部のエンジングリル部分は新規製作されたが、七宝が施された「OTOMO」マークは保存品が取り付けられている。 ヘッドランプは保存品を修復して装着している。 外観 ボディ色は、顧客台帳の記録が参照され、復元車の車台番号No.55(機関番号No.58Kのエンジンが搭載されていた車体)のボディ色であり、加えて最も多く販売されていた色ということが考慮されて「グレー」が選択され、シャシとフェンダ部は当時のセオリーに合わせて「黒」で塗装された。 外装の塗料について、当時の車両がラッカー塗装であることは判明していたが、永久保存が考慮され、復元車には2液性のアクリル塗料が用いられた。 復元車のナンバープレートの「9992」は、販売当時のカタログでも使用されている白楊社所有の車両のそれに合わせて付けられており、当時と同じく文字は手書きで書かれている。 タイヤとホイール 1925年型に合わせて26×3.5インチを復元仕様に設定し(1926年型は27×3.5インチ)、コッカータイヤ(英語版)社製のタイヤを購入し、ホイールとリムは図面に基づいて新規製作した。スポークは実車の写真に基づいて、40本組にしている。
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