古瓦の研究史とは? わかりやすく解説

古瓦の研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)

日本の古瓦」の記事における「古瓦の研究史」の解説

古瓦を通して過去存在した建築考察する試み近世遡る本居宣長檜隈寺跡訪問し発見した瓦について「いづれも布目などつきて古代のものと見たり」と『菅笠日記』に記している。近世には古瓦を硯にする事が流行しそうした好事家関心こたえて藤貞幹松平定信法金剛院の宝静誉淳らが瓦の拓本蒐集して図録作成した。特に誉淳が1827年から作成した『古瓦譜』は畿内600点以上の拓本蒐集し瓦当文様着目したうえで編年試みている。 瓦の編年体系化したのは関野貞である。関野は「古瓦模様沿革考」を『建築雑誌』連載後、1928年に『考古学講座第5巻 瓦』を刊行し徹底した資料収集分析行い寺院文献資料などと照らし合わせて編年行った石田茂作1936年著した飛鳥時代寺院址の研究』で、いわゆる引き算」によって型式分類する手法叙述した。また藤沢一夫1941年の『摂河泉出土古瓦の研究』で瓦当文様内区外区分けて分類する手法提唱した戦後になると数多く発掘調査が行われるようになり、研究基礎資料蓄積されていく。編年研究は同笵瓦における笵の摩耗や笵傷(はんきず)の進行、笵の彫直しなどを観察したり、文様模倣繰り返すことで形式化するという概念により相対年代判別する、あるいは製作方法変遷を追うなど手法より詳細編年試みられ古代寺院研究成果上げている。たとえば639年創建百済大寺所在地長年不明とされてきたが、吉備廃寺から出土した瓦の瓦当文様により当地有力視されている。また笵傷の進行により薬師寺造営は、まず金堂から始まり東塔中門回廊西塔の順で行われたことも判明した。ただし、こうした編年研究問題が無いわけではなく、特に地方においてはこれに当てはまらない事例報告されており課題となっている。 以上のように古瓦の研究型式分類編年最重要課題とされてきたが、研究の進展によって地域間交流系統論生産論、流通論にも範囲広がりつつある。一例として八賀晋や鬼頭清明菱田哲郎などにより、瓦当文様分布から歴史的背景読み取ろうとする研究や、小林行雄大川清などの造瓦技法復元や瓦工集団研究などが挙げられる

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