卒業・大学入試
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 02:01 UTC 版)
帝国大学の入学定員は旧制高校の卒業者数とほぼ同じだったので、志望する学科を選り好みしなければ、卒業後の帝国大学進学を保証された。このため、地方の帝国大学や官立大学では募集学科によって定員割れが生じた。 なお、東北帝国大学農科大学およびその後身の北海道帝国大学では、前身の札幌農学校時代から予修科を設けて独自に選抜していた経緯から、帝国大学としては例外的に独自に「予科」を設けることが認められ、早くから質のよい学生を確保する手法をとった。外地に所在した京城帝国大学、台北帝国大学においても、内地の旧制高校出身者のみに頼ることなく外地での生徒受け入れを行う意味合いから大学予科の設立が認められた。 1920年代になると、初期に設立された官立医学専門学校が官立医科大学へと昇格した。帝国大学(独自の大学予科を持つ北海道帝大、京城帝大、台北帝大を除く)と同じく旧六医科大学なども独自の大学予科を持たず、これらの大学へ進学するには旧制高等学校を卒業する必要があった。このように、「予科を持つ地方帝大」と「予科を持たない官立医大」の出現で旧制高校卒業=帝国大学進学という図式は崩れた。 一般的に、医学部、東大京大の人気学科は志望者が多いため、倍率が2倍、3倍となることも少なくなかった。もっとも、試験科目は、東大法学部の場合、英文和訳、和文英訳のみであり、現代風にいえば、入ゼミ試験のようなものであった。東京帝国大学理学部数学科の場合、外国語、数学、力学、物理であり、九州帝国大学工学部の場合、数学及力学、物理学、化学であり、九州帝国大学医学部の場合、外国語(英独仏ノ内二)、数学、物理、化学、動植物学であった。人気学部・学科への進学においては浪人するものも少なくなく、白線浪人とよばれた。 帝国大学の定員割れは、旧制高校卒業・卒業見込者での充足が優先された。帝国大学などでは、入学志願者選抜に際し、志願者の学歴によって優先順位を決定した。予科を持たない大学の文系学部では高等学校文科卒業者に、理系学部では高等学校理科卒業者に、予科を持つ大学では予科修了者に第一位の優先順位を与えた。優先順位第一位の志願者数が定員を超えた場合は第一位の志願者のみを対象とする競争試験を実施した。この試験で不合格となり浪人する者が「白線浪人」と呼ばれることもあった。 優先順位第一位の志願者数が定員以下の場合は第一位全員を合格とし、欠員部分を優先順位第二位に振り向けた。第二位以下の学歴による順位の決定方法は大学、学部ごとに異なる。多くの場合、第二位以下に「高等学校卒業以外の学歴の者」が指定され、これにより入学した者は「傍系入学者」と呼ばれた。したがって、高等師範学校や高等実業学校からの進学希望者は形式的には欠員補充であったが、帝国大学では定員充足を理由に傍系入学という扱いで入学を許可されていた。傍系入学者は、特に、東京・京都以外の帝大では比較的多くみられた。 学制改革による新制切り替えに際し、白線浪人対策(1949年11月29日付文部省通達)が行われた。各旧制大学を二期に分け、1949年(昭和24年)度選抜試験を実施した。各旧制大学は入学定員をできる限り増加させ、二重入学や入学取消などを防止するため第一期の大学は合格発表をできるだけ早く行った。なお、旧制大学が行う白線浪人対策は1950年(昭和25年)入試で終了した。
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