区名由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:24 UTC 版)
新宿とは、もともとは豊多摩郡内藤新宿町のことである。1920年(大正9年)、東京市四谷区に合併編入された際に新宿一 - 三丁目(現在の新宿一 - 三丁目全体の区画とほぼ同じ)となり、新宿駅の発展とともに世界有数の繁華街・商業地区へと変貌を遂げた。その名前の由来は、1698年に甲州街道の新たな宿場町として、信州高遠藩内藤若狭守の下屋敷に「内藤新宿(四谷内藤新宿とも)」が開かれたことによる。四谷区・牛込区・淀橋区が合併する際、 「内藤新宿」は古い文献にも出てくるため歴史を感じさせる。 新宿御苑(四谷区)や新宿駅(淀橋区)などの言葉が全国的に有名である。 区内のほかの地名より「普遍的である」。 との理由で新区名に採用された。 この新区名決定は困難をきわめた。そもそもこの合併自体が区側の発議によるものではなかったため反対の声が根強く(淀橋区は中野区や渋谷区と、牛込区は小石川区や麹町区と、四谷区は麹町区との合併を模索するような動きさえあった)、これらの声に最大限配慮し対等な合併であることを強調するためそれぞれの区名を新区名に採用しないことが合併の条件として付け加えられた(『四谷怪談』など四谷という地名は比較的知名度があるとして当初は「四谷区」が新区名に採用される見込みだったが、これにより不採用となった)。歴史的経緯がまったく異なる地区同士の合併であったため地域の総称やシンボルが存在せず、また3区の合併であるため大田区のような合成区名をつけることも難しかった(この時期に合併して誕生した区は、港区以外はどこも2区合併。また、港区の場合、前身の3区はすべて東京府発足当初から区部だったのに対し、新宿区の場合は四谷区や牛込区といった区部と内藤新宿町や淀橋区といった元郡部にまたがっているため事情を複雑にしていた)。 最終的に新区名は新宿区とすることが決まったが、牛込区はこの名前に当初難色を示した。新宿御苑も新宿駅周辺も牛込区には何ら関係がなく、新宿という「郊外の地区」の名前では牛込地区を連想することができなくなるとの理由からである(新宿区発足時には他にも新しく9の区名が東京都内に誕生したが、区内の1地区の名称を新区名に採用したのは新宿区だけだった。多くはシンボルなどに基づく瑞祥区名を採用している)。これが後に、牛込地区を中心に旧町名を残す運動が盛り上がる要因のひとつとなった。 新区名の候補として、他に 「戸山区」- 戸山は牛込区内の地名。戸山公園がある。地理的に3区のほぼ中央に位置することから候補になった。当時東京新聞が実施した調査(新区名の人気投票)では、得票数一位だった候補名。全国的な知名度から新宿区のほうが「普遍的である」と判断され、採用ならず。 「武蔵野区」- 武蔵野は武蔵野国・武蔵野台地に由来する広域地名。周辺他区の新区名候補でもあったため、選考から外されたものと思われる。 「山手区」 - 山手は武蔵野台地に由来する広域地名。周辺他区の新区名候補でもあったため、選考から外されたものと思われる。 「早稲田区」 - 早稲田は牛込区内の地名。牛込は明治期の文学者所縁の地が多く、早稲田もそのひとつ。早稲田大学がある。新宿区のほうが「普遍的である」と判断され、採用ならず。 「市谷区」 - 市谷は牛込区内の地名。JRの駅名(市ケ谷駅)にもなっている。この地区の広大な敷地が陸軍士官学校(2016年現在は防衛省市ヶ谷庁舎が所在)となっているため、そのイメージに固定されてしまうと懸念され選考からはずされた。 「富士見区」 - 瑞祥地名。 「花園区」 - 花園は四谷区内の地名。花園神社や花園小学校などにその名前が残っている。京都市や東大阪市などに全国的に有名な花園という地名が存在するため選考から外されたものと思われる。 「柏木区」 - 柏木は淀橋区内の地名。 などが挙がっていた。
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