北方アジアの遊牧民における「天下」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 10:16 UTC 版)
「天下」の記事における「北方アジアの遊牧民における「天下」」の解説
アジアの遊牧民における天下に類似する概念の歴史は、匈奴の時代にまで遡ることができる。「天」にあたる概念としては「テングリ」という言葉が知られ、中国側の史料に「撐犁」と音写されている。匈奴の君主である単于は「天降単于(テングリから降りてきた単于)」「天所立匈奴大単于(テングリによって立つ大単于)」と中国側の史料で表現されている。ここに明らかなように、テングリは天界であるとともに、天神として人格神を指すこともある。これは中国における「天」概念と非常に類似しており、両者の関連性がしばしば指摘されているが、どちらのほうが起源として古いかは明らかにされていない。この「テングリ」概念はウイグルなどのトルコ系遊牧民やモンゴル系遊牧民にも共通しており、一貫して二面的に使用されている。また人格神としての「テングリ」はモンゴルの宇宙創造神話において「テングリ・ハイラハン」という地上を作った創造神として現れる。 モンゴル帝国の時代には歴代ハーンの外交文書のなかで、テングリの名の下に地上の支配を託された者としてハーンを位置づける声明が確認される。「耳の聞きうる限りの土地、馬でたどりつきうる限りの土地」「日出ずるところより日没するところまで」ハーンの支配に服することが表明されており、そこには基本的に地理的限定はない。最近の研究ではそもそもモンゴル帝国の国号としての「モンゴル・ウルス」そのものが本来的に「モンゴルの人々の集合体」というような意味合いで、地理的概念を含むものではないと指摘されている。アジアの遊牧民の地上世界観にも、一定の秩序原理に基づき地理的限定を含まないという意味で「天下」概念と類似した構造を見ることができる。 また遊牧民の世界観の開放的な性質も指摘されている。それは元朝治下に製作された原図を基にしていると思われる『混一疆理歴代国都之図』によく表されている。「混一」という言葉はモンゴル帝国時代に用いられ始めた用語であることが指摘されているが、その意味は当時知られていた世界としてのアフロ・ユーラシア大陸が境界なく渾然一体となっているという世界観を表しているという。これは中国的な華夷を区別する世界観とは異なり、非常に開かれたものであった。同様にイランのイル・ハン国で編集された『集史』においては、世界中の歴史資料を総合し編纂し直して、世界の歴史像としての「世界史」を編もうという意図が看取されている。モンゴル帝国にいずれは組み込まれる歴史であるという意味でモンゴル帝国中心ではあるけれども、主要地域の歴史をそれぞれ自立した形で並列的に扱っており、同時代までの中国歴代王朝の正史やヨーロッパ側の歴史書とは大きく異なっている。
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