トルコ系遊牧民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
9世紀のマー・ワラー・アンナフルにはサーマーン朝が建国され、ソグディアナのブハラを首都として積極的な貿易を続けた。シルクロード以外の陸路も開拓され、カザフスタンのトルコ系遊牧民との貿易が盛んになる。家畜、毛皮、皮革、乳製品、宝石が取り引きされ、特にマムルークと呼ばれるトルコ系の白人奴隷はサーマーン朝の重要な財源とされた。マムルークはイスラーム世界で優れた軍人として重用され、マムルーク朝の成立へとつながる。トルコ系遊牧民は中央アジアで増加を続け、オアシス国家の農耕民として定住して、のちにトルキスタンと呼ばれるようになる。ヴォルガ川流域で貿易ルートの開拓が進むと、北方のルーシや、北ヨーロッパのヴァイキングとの交流も増加した。
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