クズルバシュ的シーア主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:20 UTC 版)
「クズルバシュ」の記事における「クズルバシュ的シーア主義」の解説
シャイフ・ジュナイド(英語版)(? - 1460年)がトルコ系遊牧民にサファヴィー教団の教えを説いたとき(サファヴィー朝#サファヴィー朝の起源も参照)、イスラーム教義とは相いれない中央アジア以来のシャーマニズム信仰をもったクズルバシュに受け入れやすいように改めた教義を説いた。この教義を「クズルバシュ的シーア主義」と呼ばれる。 12人のイマーム崇拝と、救世主到来を信じるメシアニスム。これはまさにシーア派的考えである。 スンナ派に対する異常な憎しみ。スンナ派の著名人の墓や遺体の冒涜はその最たるもの。政権を獲得して以降、アリーより前の3人の正統カリフを金曜集会で呪うことが国家の政策となる。 およそイスラーム的といえない呪術的宗教儀礼の実施。生きたままの人間に嚙みつき、その血を啜ったりした。1510年、イスマーイール1世は、ウズベクのシャイバーニー朝との戦いで勝利を収めたが、君主ムハンマド・シャイバーニー・ハーンの髑髏が自分のもとに届けられると、髑髏に金箔を貼って酒杯とし、勝利の美酒を味わったといわれるのもその例である。
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