サファヴィー朝の起源
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「サファヴィー朝」の記事における「サファヴィー朝の起源」の解説
サファヴィー朝の遠源は、13世紀末から14世紀初頭頃のイルハン朝期のペルシアに生きたスーフィー、サフィー・ウッディーンが興したイスラム神秘主義サファヴィー教団(英語版)である。アゼルバイジャン地方のアルダビール(現イラン北西部)に生まれたサフィー・ウッディーンは、神秘主義の師シャイフ・ザーヒドの娘婿となって師の教団を受け継ぎ、サファヴィー教団を興した。サファヴィーとは、サフィーに従う者達という意味である。教主(シャイフ)の座はサフィー・ウッディーンの子孫によって世襲され、歴代の教主は信徒からの寄進によって富を蓄えて、サフィー廟のあるアルダビールを中心に隠然たる勢力を築きあげていった。 サフィー・ウッディーン自身はスンナ派に属していたといわれるように、サファヴィー教団は本来はスンナ派に近い立場の教義をもっていた。しかし15世紀中頃、教主の座を巡ってサファヴィー家の中で起こった争いに敗れたジュナイド(英語版)が、シーア派の中でも特に過激とされる「過大派(グラート)」に類する教説を唱え、スンナ派の教えに飽き足らない、シャーマニズム的な要素を色濃く残した東アナトリアやアゼルバイジャンのトゥルクマーン達を信者に取り込んで軍事力を獲得し、教主の座を実力で奪取するに及んで宗教的に先鋭化した。この信徒の遊牧民達は、後にジュナイドの子ハイダル(英語版)が12人のイマームを象徴させて白い布を十二巻きした赤いターバンを着用させ始めたことから、テュルク語で「紅い頭」を意味するクズルバシュ(キズィルバーシュ)の名で呼ばれるようになる。クズルバシュの指導者として政治権力化したサファヴィー教団は、タブリーズを都としてアゼルバイジャンを支配する世俗権力白羊朝の利害と関りあうことになり、彼らと和戦を繰り返した。
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