サファヴィー朝の起源とは? わかりやすく解説

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サファヴィー朝の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:52 UTC 版)

サファヴィー朝」の記事における「サファヴィー朝の起源」の解説

サファヴィー朝の遠源は、13世紀末から14世紀初頭頃のイルハン朝期のペルシア生きたスーフィー、サフィー・ウッディーンが興したイスラム神秘主義サファヴィー教団英語版)である。アゼルバイジャン地方アルダビール(現イラン北西部)に生まれたサフィー・ウッディーンは、神秘主義の師シャイフ・ザーヒドの娘婿となって師の教団受け継ぎサファヴィー教団興したサファヴィーとは、サフィーに従う者達という意味である。教主シャイフ)の座はサフィー・ウッディーンの子孫によって世襲され歴代教主信徒からの寄進によって富を蓄えてサフィー廟のあるアルダビール中心に隠然たる勢力築きあげていった。 サフィー・ウッディーン自身スンナ派属していたといわれるように、サファヴィー教団は本来はスンナ派に近い立場教義をもっていた。しかし15世紀中頃教主の座を巡ってサファヴィー家の中で起こった争い敗れたジュナイド(英語版)が、シーア派中でも特に過激とされる過大派(グラート)」に類する教説唱えスンナ派教え飽き足らないシャーマニズム的な要素色濃く残した東アナトリアアゼルバイジャントゥルクマーン達を信者取り込んで軍事力獲得し教主の座を実力奪取する及んで宗教的に先鋭化した。この信徒遊牧民達は、後にジュナイドの子ハイダル(英語版)が12人のイマーム象徴させて白い布を十二巻きした赤いターバン着用させ始めたことから、テュルク語で「紅い頭」を意味するクズルバシュ(キズィルバーシュ)の名で呼ばれるうになるクズルバシュ指導者として政治権力化したサファヴィー教団は、タブリーズを都としてアゼルバイジャン支配する世俗権力白羊朝利害と関りあうことになり、彼らと和戦繰り返した

※この「サファヴィー朝の起源」の解説は、「サファヴィー朝」の解説の一部です。
「サファヴィー朝の起源」を含む「サファヴィー朝」の記事については、「サファヴィー朝」の概要を参照ください。

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