サファヴィー朝建国期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:20 UTC 版)
「クズルバシュ」の記事における「サファヴィー朝建国期」の解説
シャイフ・ハイダル(英語版)(? - 1488年)がサファヴィー教団の教団長の地位にあった時代に、クズルバシュが誕生した。ハイダルは夢の中に現れたイマーム・アリーの指示に従い、信徒に特殊な帽子をかぶるように命じたという。赤い心棒にイマームの数に由来する12の襞がある布を巻きつけたターバンを被った信徒たちは、トルコ語で「赤い頭」を意味するクズルバシュの名で呼ばれた。 1499年にサファヴィー朝の建国者イスマーイール1世が決起したとき、アナトリア高原各地のクズルバシュに檄文が送られ、集合地であるエルズィンジャン郊外には7,000人のクズルバシュが集まった。イスマーイール1世の決起から10年以上の間、サファヴィー朝軍はほぼ無敗であり、クズルバシュの間では「無謬の教主」イスマーイールの神性が信仰された。クズルバシュは教主イスマーイールを救世主と信じており、教主のもとでの死は殉教死となるため、彼らは死を恐れずに戦った。死を恐れずに戦い、密集した陣形を取って敵に突撃を繰り返すクズルバシュの騎兵は、他国の兵士から恐れられた。 イスマーイール1世は軍功の対価としてクズルバシュの部族長たちに地位を与え、大アミール(アミール・ルウラマー)、侍従長(イーシークアーカースィーバーシー)、行政司法長官(ディーワーンベク)などの中央の高官に就く者もいたが、大部分は地方領主の地位を与えられた。領地から上がった税収は政府に収める一部を除き、部族長とその部族の収入となった。チャルディラーンの戦いの後、封建領主の性質を持ち始めたクズルバシュは部族の利益を求めて行動するようになる。イスマーイール1世の存命中はクズルバシュ同士の抗争は表面化しなかったが、イスマーイールが没し、タフマースブ1世が10歳で王位を継ぐと、クズルバシュたちの間に軍事衝突が起きる。
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