トルコ系出自説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 19:56 UTC 版)
トルコ系出自説で最も古い言及は、歴史家イブン・ハリカーン(-1282)の『ワハヤート』(1271年完成)による。ファーラーブ(現在カザフスタンのオトラル)に近いワスィジの小さな村で、トルコ人の両親より生まれたと述べている。この記述に基づいて現代の学者の中には、彼がトルコ人であるという人もいる。ギリシャ出身のアメリカ人アラブ学者であるディミトリ・グタスはこれを批判する。イブン・ハリカーンの記述は、イブン・ウサイビアによって初期の歴史的記述を目的とし、アル・ファーラービーのトルコ人起源を証明する目的で、例えば追加されたニスバである”アッ・トゥルク”(トルコ人)などを使用する。これはアル・ファーラービーは決して用いなかった。イブン・ハリカーンをコピーしたアブル・フィダー(1273-1331)は“アッ・トゥルク”を変更して「彼はトルコ人であった」とした。この点に関して、オックスフォード大学教授C.E.ボスワースは「アル・ファーラービー、アル・ビールーニー、イブン・スィーナーなどの偉大な人物を、熱狂的なトルコの学者によって彼らの民族に結び付けられている」と述べている。
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