北大東島の開墾開始までとは? わかりやすく解説

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北大東島の開墾開始まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)

北大東島のリン鉱山」の記事における「北大東島の開墾開始まで」の解説

1885年7月15日沖縄県西村捨三政府大東島正式に日本領に編入し沖縄県管轄にするように求め伺書提出した内務卿山縣有朋1885年8月1日付で伺書趣旨認め大東島調査して島内日本領であることを示す国標を設置するよう命じた8月28日沖縄県県属巡査らを大東島派遣し8月29日南大東島31日北大東島調査し、国標を設置した。なお1885年沖縄県による調査主として南大東島調査費やされ北大東島に関しては国標設置のために上陸した程度であった1891年10月アメリカ船籍の船、キットセップが大東諸島付近遭難して南大東島乗組員漂着した漂着後、船長以下4名がカッター乗って沖縄本島辿り着いて救援要請し要請受けた沖縄県南大東島救援船を派遣した。キットセップ号の南大東島漂着時、漂着者から島内中央部大きな池があり、飲用適するとの報告があった。この島内飲用適する池があるとの情報は、南北大東島への移住開墾出願が始まるきっかけとなった1891年11月20日古賀辰四郎大東島開墾出願した同年12月5日には島袋完衛、翌1892年2月萩野重久善左衛門9月には服部徹と、大東島開墾出願者が相次いだ。しかし1891年から92年にかけての出願者は皆、開墾着手すること自体出来ず失敗終わった1895年10月出願した広川勇之介もまた失敗した7番目の出願者が玉置半右衛門であった1899年10月南北大東島開墾出願した玉置は、自らの故郷八丈島開拓者募集し1900年から南大東島開墾着手した玉置右衛門は自らが経営する玉置商会社員島内経営管理統治担い故郷八丈島出身者親方、そして主として沖縄県出身仲間呼ばれた契約雇用農民底辺とするピラミッド型仕組み作り医療日用品等の入手島内出入統制私設小学校設立、そして島内流通大東島紙幣発行と、玉置商会島内全て支配する体制固めサトウキビ栽培製糖業による開墾開発成功する。 しかし北大東島に関しては、玉置半右衛門による南大東島開墾開発進んでもなかなか開発着手できず、1903年6月奈良原繁沖縄県知事による大東諸島視察時はまだ無人島であった北大東島手つかずのまま放置されているため、玉置のもとで鳥島アホウドリ羽毛採取従事し南大東島開拓にも携わっていた広川勇之助開墾取得しよう画策した。その動き察知した玉置1903年玉置商会社員北大東島派遣し島内サトウキビ植えて開墾を行う意志示した

※この「北大東島の開墾開始まで」の解説は、「北大東島のリン鉱山」の解説の一部です。
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