北大神田書店グループ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 18:38 UTC 版)
「村西とおる」の記事における「北大神田書店グループ時代」の解説
1980年には、当時「ビニ本」と呼ばれていたポルノ雑誌の小売店チェーン「北大神田書店」グループを立ち上げ、北海道全域に48店舗で開業したのち全国へ展開した。グループの命名は、「北海道大学と東京の古書店街・神田という権威ある2つの名前をくっつけた」という。全盛期の頃、札幌東警察署の隣に店舗を出店していたことを村西本人が明かしている。 これと並行して写真のモザイクをなくした違法なポルノ雑誌(裏本)の制作と販売を始め、北大神田書店の全国流通ネットワークで売りさばいた。原価200円の裏本が1万円超で飛ぶように売れ、年商20億円に達していたとされる。これは現在の貨幣価値だと、年商100億円に相当する。 1982年には写真集・著名人の伝記などを手がける出版社「新英出版」を創業する。これも「出版社の最大手、新潮社と集英社」の名前をつなげた命名である。写真週刊誌『スクランブルPHOTO』を創刊(編集長は本橋信宏)、やはり自前の流通網で販売している。またこのころ、アメリカの人気ポルノ女優アネット・ヘブンを日本へ招いてポルノビデオを監督・制作している。 この間に村西の「裏本」流通ネットワークは全国に広がり、複数の県警から猥褻図画販売容疑で指名手配されたのち、1984年3月に逮捕された(後に懲役1年5か月、執行猶予4年の有罪判決が確定)。北大神田書店グループは解体され、全財産を失う。
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