北大東島守備隊と鉱山とは? わかりやすく解説

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北大東島守備隊と鉱山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:53 UTC 版)

北大東島のリン鉱山」の記事における「北大東島守備隊と鉱山」の解説

戦況悪化していく中で1944年3月大本営太平洋方面防衛強化アメリカ軍攻撃恐れ考慮して大東諸島防衛体制強化することとし、第85兵站警備隊大東諸島配置する決定をした。4月24日、第85兵站警備隊第二中隊北大東島上陸展開したその後歩兵第36連隊大東諸島配置することが決定され7月25日北大東島一個大隊上陸展開した歩兵第36連隊一個大隊北大東島展開されると、先に配置されていた第85兵站警備隊第二中隊南大東島移動したその後海軍部隊9月7日上陸展開した北大東島配置され陸軍部隊総勢1010人、海軍部隊519人で、北大東島には海軍合わせて1500名あまりの兵士配置されることになった実際1944年3月には北大東島リン鉱石積み込み来航した船が、潜水艦魚雷攻撃を受け沈没し4月にもやはりリン鉱石積み込み船が魚雷攻撃を受け沈没し、ともに多数乗組員犠牲になっていた。陸海軍北大東島守備隊展開される中、1944年8月からは約1700名いたリン鉱関係者農民たちなどの島民疎開始まった疎開はまず高齢者、子どもを優先しその後病弱者妊婦など要援護者その後島に在住している必要性が無いと見なされる者という順番行われたが、1500名あまりの兵士来島した後の食糧問題もあって、1944年10月からは軍が必要とする者のみ在島認められる方針変更された。結局半数上の島民疎開し、島民は約700名にまで減少した配置され守備隊兵舎として、学校リン鉱従業員らの社宅製糖工場民家徴発された。多く残留島民自宅追われ小屋掛けでの生活を余儀なくされた。また敵の来襲備えて陣地の構築急ピッチで進められ残留島民作業駆り出された。敵が来襲した場合には、陸海軍、そして残留島民一致協力して敵兵力を消耗させ、北大東島死守することを目指した。 米軍からの攻撃は、1945年3月から空襲がたびたび行われ艦砲射撃もあったものの、被害比較少なかった

※この「北大東島守備隊と鉱山」の解説は、「北大東島のリン鉱山」の解説の一部です。
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