北大東島の形成と海鳥の繁殖
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「北大東島のリン鉱山」の記事における「北大東島の形成と海鳥の繁殖」の解説
北大東島、南大東島はフィリピン海プレートにある大東海嶺上にある。大東海嶺は北大東島、南大東島がある西部では頂部が水深が1500メートルから2000メートルの平坦面となっていて、両島は海嶺の最高地点となる。北大東島、南大東島はともに約5200万年前、現在の場所から約1000キロメートル南方の赤道付近にあって、島弧の一部だったと考えられている。その後プレートの移動に伴って北上しながら徐々に沈降し、環礁を形成していった。 東北帝国大学理学部地質学古生物学教室は、1934年と1936年に北大東島でボーリング調査を行い、432メートルの深さまで掘削した。掘削試料の分析によれば、最も下部の試料は第三紀漸新世、最上部は鮮新世から第四紀更新世のものであると考えられている。最下部のボーリング試料は約2500万年前に堆積したものであり、2500万年の間にプレートの動きに伴う沈降とサンゴ礁の形成に加え、海水面の上下によって陸化や水没を繰り返していたことが判明している。そしてサンゴ礁の成長に伴って形成された石灰岩に、約550万年前と約200万年前にドロマイト化作用が起きたと考えられている。石灰石のドロマイト化作用にはいくつかの種類があるが、北大東島の場合、海水によるドロマイト化作用を受けたものであると考えられている。なお、北大東島のドロマイトは硬く耐久性に優れるため、リン鉱山時代には建物の建材や石垣等に盛んに用いられた。 フィリピン海プレートの動きに乗って北上し、沈降しながらサンゴ礁が形成されていった北大東島は、琉球海溝に沈み込む前に「海溝周辺隆起帯」と呼ばれる隆起帯に差し掛かった。北大東島が隆起帯に入って沈降から隆起に転じた時期については200万年前から160万年前との推定がある。 東北帝国大学の山成不二麿は、北大東島、南大東島の中で北大東島の北西部に位置する黄金山が最初に陸化し、多くの海鳥が飛来して糞が堆積し始めたと推定している。その後隆起が進むにつれて黄金山周辺も陸化していき、島の北西部一帯に海鳥が飛来するようになって鳥糞の堆積も進んでいく。鳥糞の堆積は島の陸化が進んで森林に覆われるようになって、海鳥の飛来が減少するまで続いたと考えられている。なお、リン鉱石の鉱床が含まれている港層が堆積したのは、造礁サンゴに由来する大東層が形成され、約200万年前のドロマイト化が終了した後のことと考えられている。
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