加賀藩による保護とは? わかりやすく解説

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加賀藩による保護

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:18 UTC 版)

加賀宝生」の記事における「加賀藩による保護」の解説

戦国時代能楽武家たしなみとして戦国大名広く受け入れられた。加賀藩藩祖前田利家能楽好み自らも良く演じた豊臣秀吉金春流金春安照を取り立てていたことから利家も金春流傾倒し、安照の子金春氏勝を贔屓にしていたとされる第二代代藩主前田利長第三藩主前田利常金春流受け継ぎ、利常は寛永5年1628年)に氏勝の子竹田権兵衛召し抱えている。 加賀藩宝生流取り入れたのは五代藩主前田綱紀時代とされる綱紀ははじめ能楽をほとんどたしなまなかったが、能楽愛好する江戸幕府5代将軍徳川綱吉から能を所望されたことを契機稽古励んだ綱吉宝生流取り立てていたことから、綱紀宝生流学び貞享3年1686年4月江戸城将軍御前で「桜川」を初め演じたという。幕府向けの外交政策としての側面否定できないものの、宝生友春の芸風惹かれ綱紀は藩内の能楽宝生流統一することとし金春流竹田権兵衛以外の役者に宝生流への改流を命じ元禄5年1692年)には友春の次男嘉内を江戸で15扶持という破格厚遇召し抱えた。また綱紀元禄元年1688年)に金沢城内で美術工芸品の製作や修復手掛ける御細工所御用職人対し本職のほかに謡や囃子を兼芸として課し演能のための人材確保した加賀藩には専業能役者御手役者のほか、町人兼業として能楽たしなむ町役者がいることが特徴であり、町役者には名字名乗ることが許され、税が免除されるなど手厚く保護された。城下町金沢では大工左官屋根屋親方まで謡の心得があり、屋根葺きながら謡を口ずさむため「謡が天から降ってくる」といわれたという。また庶民城下催される神事能奉納囃子などを通じて能楽親しんだ城下町外港であった宮腰現・金沢市金石)の大野湊神社では慶長9年1604年)から神事能奉納されている。 「加賀宝生」という言葉使用されるのは、江戸時代末期嘉永元年1848年江戸で盛大な勧進能興行した宝生友于紫雪)が金沢退隠してからで、謡い方や所作一部加賀独自の特色があるのは紫雪による流布影響とも考えられている。

※この「加賀藩による保護」の解説は、「加賀宝生」の解説の一部です。
「加賀藩による保護」を含む「加賀宝生」の記事については、「加賀宝生」の概要を参照ください。

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