創立から私の部屋までとは? わかりやすく解説

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創立から私の部屋まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 02:52 UTC 版)

婦人生活社」の記事における「創立から私の部屋まで」の解説

1947年昭和22年2月1日講談社出身で元『講談倶楽部編集長原田常治が「株式会社同志社」として設立する同年5月月刊婦人誌『婦人生活』を創刊する。同誌は、創刊から5年1952年昭和27年)には、『主婦の友』『主婦と生活』『婦人倶楽部』と並ぶ「戦後四大婦人雑誌」と呼ばれ発行部数50部を超えた。この勢いから、原田は、その出身である講談社創業者野間清治比較された。ジャーナリズム思惑ともあれ、「戦後四大婦人雑誌」の時代以降40年つづくことになり、その礎となった1957年昭和32年5月監修田中千代迎え、『服装』を創刊する1963年昭和38年8月社名を「株式会社婦人生活社」と改称する1969年昭和44年10月1日関連会社として「株式会社婦人生活事業部」(現在の株式会社クックアンドライフ社)を設立する同年雑誌『ベビーエイジ』を創刊する1972年昭和47年1月、『私の部屋』を創刊する1973年昭和48年4月創立者原田常治勲四等瑞宝章受章する同年5月23日前年末から『私の部屋』と連動した店舗展開を開始した生活雑貨店「私の部屋」が株式会社化、「株式会社私の部屋」(現在の私の部屋リビング)が設立される1974年昭和49年3月同月発行の『服装第18巻第3号をもって、同誌の発行田中千代学園譲渡する1975年昭和50年)、雑誌セサミ』を創刊する1977年昭和52年8月23日創立者原田常治が満74歳死去する当時46歳原田稔二代目社長に就任する

※この「創立から私の部屋まで」の解説は、「婦人生活社」の解説の一部です。
「創立から私の部屋まで」を含む「婦人生活社」の記事については、「婦人生活社」の概要を参照ください。

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