創立と功労者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:43 UTC 版)
ダートマス大学は、清教徒の聖職者 エリエザー・ウィーロックを主とする尽力と当時のニューハンプシャー教区における総督代理を務めていたジョン・ウェントワースによる援助の成果として、1769年にイギリス王室のキング・ジョージ3世の勅許を賜り、9つめで最後の「コロニアル・カレッジ」として作られた(アメリカ合衆国の大学全体では13番目)。 ダートマス大学の創立目的は、「インディアン部族と若きイギリス人、またその他の人々」に対し、キリスト教化や指導、教育などを施すことだった。ネイティブ・アメリカンの聖職者であったナサニエル・ホイッタカーとサムソン・オッカムは、北アメリカ植民地に対するキング・ジョージ3世付きの大臣といった有力な政治家の後援者と評議員による信託機関を通し、イギリスに属する大学に対しての出資を申し出た。この政治家たちの代表として、第2代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグが含まれており、彼が大学の名の由来となった訳である。 この出資は、元はウィーロックによって1740年代に建設予定中であったコネティカット州の教育機関(コネティカット大学ではない)と1754年に勅許を受けた「ムーア氏によるインディアンのための慈善学校」を援助するために行われたものだが、ウィーロック自身は左記の教育機関の代わりにダートマス大学に対して出資金を利用した。 1770年から講義が開始され、1771年に初の学位認定が行われた。この学位自体は、1773年にイギリス本土からの公認を得ている。 一方、裏切りに落胆したサムソン・オッカムは、次にニューイングランド地域に住むネイティブ・アメリカン部族のため、ニューヨーク州北部 オナイダ郡にブラザータウン・インディアンズと呼ばれる共同体を結成した。
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