創立から組織分裂までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 03:51 UTC 版)
「日本中国友好協会」の記事における「創立から組織分裂までの経緯」の解説
日本中国友好協会は日中関係団体の中で最も古い歴史を有しており、中華人民共和国建国直後の1949年10月に準備会を発足、1950年2月に会報『日本と中国』を創刊の上、同年10月1日に創立大会を開催して正式に発足した。そのため分裂した2団体はいずれも「1950年10月1日に創立」としている。 日本と中華人民共和国との間に国交が無い中、協会は善隣学生会館に拠点を置きながら中国残留日本人の帰国実現、戦時中に日本へ強制連行された上で死亡した中国人の遺骨送還、その他経済的・文化的な諸活動を通じて交流活動と日中国交正常化運動を行ってきた。 だが、中華人民共和国で1966年5月から文化大革命(文革)が本格的に始まると、文革に対する評価を巡って中国共産党と日本共産党の関係が悪化し(詳細は日中共産党の関係参照)、協会内部でも中国共産党と文革を支持するグループ(便宜上の「日本と中国」)と日本共産党を支持するグループ(便宜上の「日中友好新聞」)とで対立が激化した。人数は「日本と中国」が多数であったものの、最終的に「日本と中国」が善隣学生会館の拠点から出ていく形で組織が分裂し、「日中友好新聞」と「日本と中国」が別個に「日本中国友好協会」を名乗り、運営する状態に至った。
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