創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで
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「広島師範学校」の記事における「創立から皆実町校舎・東雲町校舎まで」の解説
1874年(明治7年)7月、白島学校として設立された当時の広島県師範学校は、市内(この時点では広島区内)東白島町の真木家宅を仮校舎としていた。翌1875年(明治8年)7月校舎は西白島町の山林社に移転し、ここに残されていた藩政時代以来の施設(かつて運上場が置かれていた)を利用した。1877年、官立師範学校が廃止されるとその施設はそのまま県師範学校に継承されることになり、同年3月、まず市内立町の官立師範学校跡地に移転、さらに7月には当初官立師範学校の新校舎として建設が進められていた竹屋町校舎が竣工したためここに移転した。しかし1879年(明治12年)7月、本校内規宿舎の失火によりほとんどの校舎が焼失し、翌11月皆実町への一時移転を経て、1880年(明治13年)3月には下中町(現在の中町)の広島県中学校の校地に移転し、一時期同校と校地を共用していた。1901年(明治34年)7月になって市内比治山下の皆実村(のちの皆実町 / ただし現在は南区比治山本町の町域内となっている)に新築された校舎に移転した(皆実町校舎)。皆実町校舎は長く使用されたが老朽が目立つようになり、1941年(昭和16年)9月には東雲町1946番地の新築校舎に移転した(この際予科生の寄宿舎のみが皆実町校地に残された)。
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