創立から国民学校まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:29 UTC 版)
「練馬区立大泉小学校」の記事における「創立から国民学校まで」の解説
1892年(明治25年)6月1日、豊西小学校と榑橋小学校は合併し、大泉村の中央にあたる現在地に「泉小学校」として開設された(初代校長:関根雅楽蔵)。大泉小学校はこの日を開校記念日としている。 1888年(明治31年)には高等科を併置し、泉尋常高等小学校になる。1915年(大正4年)、大泉尋常高等小学校に改称した。1932年(昭和7年)に大泉村は東京市板橋区に編入された。1941年には東京市大泉国民学校となった。 尋常高等小学校時代の本校には3つの分教場が設けられているが、橋戸分教場(1897年開設)が現在の大泉第一小学校(1946年独立)に、第二分教場(1912年開設)が大泉第二小学校(1943年独立)、第三分教場(1919年開設)が大泉第三小学校(1944年独立)に、それぞれ発展している。また、大正期から昭和戦前期にかけて、実業補習学校(1915年)、専修女学校(1930年)、大泉農商公民学校(1930年)が、それぞれ併置されている。
※この「創立から国民学校まで」の解説は、「練馬区立大泉小学校」の解説の一部です。
「創立から国民学校まで」を含む「練馬区立大泉小学校」の記事については、「練馬区立大泉小学校」の概要を参照ください。
- 創立から国民学校までのページへのリンク