前史とザ・フォーラムの誕生
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「ランドマーク・フォーラム」の記事における「前史とザ・フォーラムの誕生」の解説
ランドマーク・ワールドワイドは、ワーナー・エアハードからエストの背後にある「技術」のライセンスを購入して講座を開催しているため、まずその原型であるエストについて説明する(エストはランドマーク・ワールドワイドでは開催されていない)。ユダヤ系アメリカ人ジョン・ポール・ローゼンバーグは、高校を卒業して中古車のセールスマンをしていた。故郷を離れてワーナー・エアハードという偽名を名乗るようになり、書籍(グレート・ブックス)のセールスの仕事をしながら、ナポレオン・ヒルやマクスウェル・マルツ(英語版)の自己啓発本など、成功に関する大量の読書に励んだ。1961年にサンフランシスコに移ってエスリン研究所に接してヒューマンポテンシャル運動やアラン・ワッツの禅などを知る。書籍のセールスの仕事では、ヒルやマルツの本の教えを生かし、部下の販売員の女性たちにコミュニケーションを教え、ヒューマンポテンシャルについて語っていたという。1963年ロサンゼルスへ移り、そこである種の充足体験(peak experience)を持った。デール・カーネギーのコースでアシスタントを務め、サイエントロジーのオーディティング(一種のカウンセリング)を70時間受けた。1970年にアレキサンダー・エヴェレット(英語版)が始めた自己啓発セミナーのマインド・ダイナミックス(英語版)に参加し、トレーナーをした。1971年3月ゴールデン・ゲイト・ブリッジを自動車で走っているときに再び充足体験があり、9月にトレーナーをやめ、11月にエストを始めた。ヒューマンポテンシャル運動でかなり成功し、アメリカで代表的な自己啓発セミナーになった。エアハードのヒューマンポテンシャル運動の再解釈は非常に大胆で、セルフヘルプ、積極思考(ポジティブシンキング)、アメリカに昔からある個人的成功に関する思想や書籍等をつぎはぎしてアメリカナイズし、運動のあり方を決定的に変えた。 ランドマークは、エストに集まっていた1960-70年代のカウンターカルチャーのフラワーチルドレンではなく、90年代のニューエイジャーを対象にしていた。 エストの集中講座は、参加者によれば激しい感情やぶつかり合い、言葉の暴力を伴うものであった。1970年代から1980年代に人気となり、75万人がセミナーを受け、その多くがエストによる自己の変容を熱烈に賛美し、公立小学校で試行的に実施されたり、5箇所の刑務所内で受刑者を対象に試されたこともあった。 しかし、その厳しい内容から訴訟や問題も多く、80年代に入ると人気が急落。1981年にワーナー・エアハード&アソシエイツ(英語版)(WE&A)が設立された。エストを行う団体で最も成功した「エグジェシス」が、おそらくイギリスの国会議員デビッド・メラー(英語版)の批判の影響で1984年に破産した。 WE&Aは同年エストを終了し、1985年エストをベースにしたよりシンプルで哲学的で穏やかなセミナー「ザ・フォーラム(The Forum)」に置き換えた。(この頃日本に進出している。)全セッションがトレーナーと参加者との対話形式となり、実習的要素はなくなっている。これを改訂したものがランドマークの主力商品であるランドマーク・フォーラムである。こうした変更は、同時期に他のヒューマンポテンシャル運動の団体で起こったエンカウンター様式からより洗練されたアプローチへの変化と同様の方向で、告訴の危険性を抑えると共に、幅広く普及させたいといった営利的な要因があったと考えられている。
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