前史と成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 17:33 UTC 版)
「ショセ=ダンタン通り」の記事における「前史と成立」の解説
この地はルイ13世の時代に造られたガイヨン門(パリの市門の一つ)の北にあたり、湿地の点在する土地だった。17世紀の頃も、ガイヨン門から寒村ポルシュロンへ向かう「ポルシュロン道」という名の田舎道で、怪しげな家が散在し、メニルモンタンという小川には欄干もない橋が架かっていた。サント=トリニテ教会のあった場所には「グランドパント(大酒屋)」という評判の悪い宿屋があった。 1720年12月4日の布告によって、幅8トワーズ(約16メートル)の大通りに格上げされ、ルイ=ル=グラン通りの終点からサン=ラザール通りまで延長されることになった。現在の有名な名称は、モンテスパン侯爵夫人の子で「王の建物」長官だったアンタン公ルイ・アントワーヌ・ド・パルダイヤン・ド・ゴンドラン(1665年-1736年)の邸がこの新しい通りの起点に面していたことから名づけられた。1712年にはこの名がつけられている。
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