前史と畠山七人衆の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/09 03:35 UTC 版)
「畠山七人衆」の記事における「前史と畠山七人衆の成立」の解説
能登畠山家は7代目・畠山義総の頃に全盛期を迎えるが、義総の死後、以下に挙げる7名の重臣(年寄衆)の合議制によって政策運営がされるようになる。 また、次の8代目・畠山義続は七人衆の傀儡であり、畠山家の政策は、筆頭の温井総貞を始めとする七人衆に委ねられていた。 第1次畠山七人衆(1552年 - 1553年) 伊丹総堅 平総知 長続連 温井総貞 三宅総広 遊佐宗円 遊佐続光 第2次畠山七人衆(1553年 - 1555年) 飯川光誠 神保総誠 長続連 温井続宗(総貞の子) 三宅総広 三宅綱賢(初名:総賢) 遊佐宗円
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