前史・ラジオ放送
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ラジオ放送初期には、放送用の録音媒体にはセルロース盤を用いていた。当時のセルロース盤の再生時間は片面最大約3分であったため、片面時間を超える録音を行う場合は、2つの円盤録音機を交互に切り替えて収録する方法がとられた。それでも放送時にシームレスに再生することは困難だったため、音楽、演芸、文化講演といった長時間のコンテンツはスタジオからの生放送か、劇場からの生中継放送に限られていた。玉音放送もセルロース盤による収録放送である。 日本のラジオ放送においては、1932年(昭和7年)11月22日午後4時20分からの、NHK東京放送局における「国際聯盟会議の経過」と題する佐藤尚武の演説放送が収録放送の嚆矢である。これはジュネーブ発の国際放送を写真化学研究所で受信しながらセルロース盤に記録し、それを放送局へ運んで再生する、という段取りであったが、「成績が余り芳しくなかった」としている。 その後収録によるラジオ放送が本格化したことが公式に確認できる最初の例は1936年(昭和11年)10月29日の特別番組「海軍特別大演習観艦式御模様」で、2つの中継現場のうち、神戸港沿岸からの様子を録音で放送した。 1938年(昭和13年)には、NHK全体の1年の放送時間総計の152,400時間59分のうち、10時間17分で録音放送を行うに至っている。 東京放送局では、30分の継続録音が見込まれていた鋼線式磁気録音や、トーキー映画で用いられる光学録音の導入を目指していたが、実現に至らなかった。日本では第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)頃、音声用磁気テープの実用化および放送現場への普及に至った。
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