前史と時代背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 05:00 UTC 版)
ニューイングランドを中心とするアメリカ初期移民で、厳格なキリスト教観を持つ清教徒の社会においては、ことさらに宗教と社会の結びつきが強く重要なものであった。 強固な万人祭司や聖書のみの考えによって一般信徒にも神学的な聖書理解が推奨される社会においては日曜礼拝が重要だった。例えば1629年に殖民が始まったマサチューセッツ湾植民地では、1636年にはアメリカ最古の大学と知られるハーバード大学の設立が決定されているが、これは現代に知られる学問の府、教育機関という目的よりも、牧師の養成機関(また、牧師にならずとも高度な聖書理解ができるための基礎教養を学ぶ場)という役割が重視されたものである(ハーバードに限らず、当時のアメリカで設立された大学機関には牧師の養成機関という役割が期待されていた)。それほど牧師という職種が重視されたのも、一般信徒へ聖書の内容を教え説く存在として必要だったためである。こうした背景を持つ日曜礼拝は、牧師が説教によって大衆に高度な聖書理解を指導する場であって、それは大衆からみれば高度な聖書理解を行うための知性が要求される場であった。こうした場における説教というのは、端的に言えば退屈な事柄であり、決して聞き手を熱狂させるような要素は無かった。 また、この植民地社会で重要だったのが回心であった。カトリックなど伝統的なキリスト教においては洗礼(幼児洗礼)においてキリスト教に入信したと見なされたが、清教徒(や福音主義)においては、あくまで形式的なものとされ、成人してからの洗礼、回心を重視した。この回心の認定は、教会において共同体の代表者らを前に報告(信仰の告白)し、彼らが判断するという形式をとった。宗教との結びつきが強い社会において回心を認められるということは、社会(共同体)に認められることと同義であり、すなわち植民地社会において回心を認められることは切実な問題の1つであった。 時代が下がって18世紀に入ると、世代交代や、他文化圏の移民による爆発的な人口増が起こり、清教徒達が構築した社会に綻びが出てくる。例えば同じキリスト教圏からの移民といえど、信仰心の篤さは不揃いであり、単に信仰心が薄いだけではなく、仮に信仰心があっても、清教徒達の殊更に厳格な宗教観にはついていけず、信仰心を何によって証明するかに齟齬が出た。また、従来の清教徒達においても、自分の子供達も問題なく回心を共同体に認められるかの不安は常につきまとったし、新世代から見れば自分の内面の事柄である回心(神性の体験)が外部に正しく判断され、認めてもらえるかという不安がつきまとった。一方で牧師達もほぼ義務的に日曜礼拝にやってくる信者達の信仰に対する熱の冷たさに悩みがあった。 このような社会情勢の中で大覚醒と呼ばれる一連のムーブメントが発生したのであった。
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