歴史主義の前史と成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 08:27 UTC 版)
ヘーゲルは、歴史哲学を哲学の重大な問題であるとした上で、人類の歴史は理性(絶対精神)の発展過程であるとして一種の進歩的かつ認識論的な歴史観を主張した。 これに対し、ランケは、科学的な史料批判に基づく歴史学という見地から、そのような歴史法則の存在そのものを否定したが、歴史とは客観的精神であるという認識論・観念論的な歴史観であるという点ではヘーゲルと共通していた。 19世紀は「科学の世紀」とされ、人間のあらゆる生活領域に科学的な思想が侵食し始めた時代であった。明朗な学問である自然科学に対する、不明朗な学問(ungenaue Wissenschaften)である文化諸科学の価値に疑問が呈される時代でもあった。イギリスではダーウィンの影響の下、社会進化論が流行していたが、マルクスは、認識論・観念論的な歴史観を批判し、歴史を階級闘争の場とする唯物史観を科学的な見地から主張した。 そのような時代において、ヴィルヘルム・ディルタイは、自然科学と、これに対置される歴史学、法学、経済学などの精神科学を区別し、歴史的認識を範型とする精神科学の認識論的特質は体験・表現・理解の連関に基づいているとした。この連関は「生」の自己解釈であり、歴史はこの個々の自己解釈のあらゆる客観化の総体であるとされ、歴史主義に哲学的な基礎が与えられたのである。そこでは、人間生活のあらゆる現象は、客観的な精神である歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないと主張されるようになったが、このような様々に変動する生を基礎に置く哲学は、客観的精神といえども生の流れの中で様々に変動をせざるを得ないのではないか、との疑問と結びつき歴史相対主義を招来したのであった。
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