歴史主義様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 04:11 UTC 版)
「オッフェンバッハ・アム・マイン」の記事における「歴史主義様式」の解説
その後工業化され大都市に成長したオッフェンバッハでは、爆撃による被害や都市改造にもかかわらず歴史主義建築が主流を占めるようになった。他の大都市とは異なり、この街ではほとんどの大企業が労働者用住宅を建設しなかった。成り上がった市民や企業は贅沢な設備の堂々とした建物を遺した。歴史主義様式の最も傑出した作品は、1775年にはすでに建設されていたのだが、1901年から1907年にかけてネオバロック様式に改築されたビュージング邸である。これはオッフェンバッハの企業家ベルナルト一家の都市型邸宅であった。現在、本館内には戸籍役場、市立図書館、クリングスポール博物館が入居している。この豪華な館の部屋は、様々な目的のために市によって貸し出されている。 この他の歴史主義様式の贅沢な建造物は、主に、ヴェストエントのお屋敷街やフランクフルター通り西部の南側に集まっている。パーク通りのライプニッツ・ギムナジウム旧館やドライアイヒ公園の端にある19世紀後半のいくつかのコンクリート建築も見応えがある。 重要なネオバロック様式の宗教建築に、ビーベラー通りのカトリック教区教会聖マリエン教会がある。バロック様式を基調とし、ユーゲントシュティールをアクセントに加えたこの三廊式教会は、マインツの聖堂建築家ルートヴィヒ・ベッカーの設計に基づいて1911年から1913年に建設された。Sバーンの工事により構造上の損傷を受けたが、その後完全に修復された。教会の南にあたるマチルデン街区はインネンシュタット周辺部に造られた泡沫会社乱立時代の住宅地の典型例である。 インネンシュタット南部および中心部に近い地域の景観は、泡沫会社乱立時代に建てられた賃貸アパートによって占められている。その多くはユーゲントシュティールの影響を受けた保守的な古典主義建築後期の作例である。建築装飾は主に砂岩で造られている。また、いくつかの建物はクリンカー(オランダ焼きレンガ)造りである。こうした建物の状態はそれぞれ大きく異なっており、文化財にふさわしい方法で修復が行われている。
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