利水と発電~分水嶺を越えて~
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:32 UTC 版)
「太田川」の記事における「利水と発電~分水嶺を越えて~」の解説
利水に関しては、戦前・戦後を通して広島市は人口が増加の一途を辿り、中国地方最大の都市に成長した。だが、人口の増加は水需要の逼迫を生んだ。既に広島市は1898年(明治31年)に近代水道事業の整備を済ませていたが、人口の急増に整備拡張が追い付かなかった。これに加え瀬戸内海気候であるが故に水不足が頻発する地域でもあった。このために総合的な水資源施設整備が急がれた。 建設省は広島市・呉市・竹原市及び島嶼部(現在の江田島市等)への上水道供給のために太田川のみならず中国最大の大河・「中国太郎」江の川からも水源を確保する方針を立てた。これにより建設されたのが江の川本川の土師ダムで、土師ダムから中国山地を貫く導水トンネルで中国電力・可部発電所に送水。送水した水は太田川へ放流し取水することになった。取水地点に選定されたのは小田定用水の取水口である高瀬井堰の直上流部分であった。建設省は固定堰である井堰を可動堰に改造する計画を1970年(昭和45年)に着手した。これが高瀬堰であり、土師ダムと共に1975年完成した。これにより広島県南部地域の水源として、上水道・工業用水・灌漑用水の供給を行い地域の水需要に応えている。 水力発電に関しては戦後も太田川上流域にダム式発電所の建設が中国電力によって進められた。1957年(昭和32年)柴木川に樽床ダム(柴木川第1発電所、24,000kW)、1959年には王泊ダム嵩上げによる発電能力増強(滝山川発電所、51.500kW)が相次いで建設されたが、電力需要の増加に伴い1971年(昭和46年)には南原発電所の建設が開始されている。これは南原川とその支流の明神川に南原ダムと明神ダムを建設、両ダムによってできた貯水池を利用して揚水発電を行うもので1976年(昭和51年)7月に完成した。この南原発電所は最大出力620,000kWと中国地方の水力発電所は俣野川発電所(鳥取県・岡山県)の1,200,000kWに次ぐ規模である。 1975年には可部発電所(38,000kW)が建設されたが、これは土師ダムより江の川の水を導水した水の一部を使い発電を行うものである。可部発電所は水需要の確保においても極めて重要な位置を占めるが、放流した発電用水を逆調整するために高瀬堰も利用している。中国電力の太田川水系における発電所は利水や治水に関しても連携した対応を行っており、太田川発電所の放流水は八木用水の水源として利用されている他、王泊ダムは下流の温井ダムと連携して2005年の水害において洪水調節に威力を発揮している。
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