初期の描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:36 UTC 版)
エッケ・ホモの場面を初めて芸術的に描いたのは、9、10世紀、シリア‐ビザンティン美術である。中世の西方教会の描写はエッケ・ホモの場面を描写していると見えるし、通常そのように理解もされている。荊冠やキリストへの嘲笑が表現されているが(『エグベルトコデックス』『エヒテルナッハのアウレウス写本』を参照)、これらは聖書ではエッケ・ホモの場面の先触れである。その独立したイメージは1400年頃におそらくブルゴーニュ地域圏で発達したにすぎないが、特に北ヨーロッパにおいては、またたくまに非常にポピュラーな素材となった。 この題材が流行するにつれ、15、16世紀の西洋詩で受難は中心的なテーマとなった。エッケ・ホモのテーマは、中世の受難劇の場面で見受けられるだけでなく、デューラーの『大受難伝』やショーンガウアーの『受難伝』など、受難物語をテーマにした版画連作にも見られた。また特にフランスにおいては、しばしば彫刻の主題にも取り上げられた。ヒエロニムス・ボスやハンス・ホルバインによるものなど、祭壇の装飾としても、エッケ・ホモをテーマとした作品が制作されている。 受難劇のように、エッケ・ホモの場面を視覚的に描写する作品は、しばしば議論の的になる。エルサレムの人々を非常に批判的な観点から描き、おそらくは反ユダヤ主義的カリカチュアになりかねないというのである。しかしこのスタイルの芸術は、イエスに向けて怒る群衆の内心の憎悪を単純化・外面化したに過ぎず、いかなる人種的判断も社会通念の常識と全く同一である。 苦しむキリストが、孤独の中から鑑賞者をじっと見つめているような描き方は、中世後期に生まれた。この技法により鑑賞者が受難のできごとに感情移入する効果がある。同様に発展したモチーフには、「悲しみの人」「キリストの休息」が挙げられる。この主題は後世、ジャック・カロやレンブラントなどルネサンス期の絵画やバロック期の絵画彫刻、版画に繰り返し使われている。 ヒエロニムス・ボスは1470年代に初めて『Ecce Homo』を描いた。彼は1490年代に再び同じ主題に戻って、初期フランドル派に特徴的な、奥行きのある遠近法、シュールで幻想的なイメージで左下に祈る修道士を描いた。 1498年、アルブレヒト・デューラーは『大受難伝』の「エッケ・ホモ」でキリストの苦悩を表現した。『大受難伝』は彼の自画像と非常に緊密な関係を持った版画連作で、エッケ・ホモのテーマを芸術家の苦悩のメタファーとして再解釈したものである。 ジェームズ・アンソールはエッケ・ホモの主題を使って風刺的版画 『エッケ・ホモ(あるいは「キリストと批評家たち」)』 (1891年)で、自らをキリストになぞらえて見せた。
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