ルネサンス期の絵画
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1504年にレオナルド・ダ・ヴィンチは、地面に座って子供たちと遊ぶレダという主題の作品を描くために習作を始めたが、結局この作品は描かれてはいないと考えられている。そしてレオナルドは1508年に、同じ主題だがまったく別の構成の絵画を描いた。その絵画が、白鳥を抱擁して裸で立っているレダと大きな卵から生まれたばかりの二組の双子が描かれている『レダと白鳥』だった。レオナルドが描いたオリジナルの『レダと白鳥』は現存しておらず、意図的に破棄されたと考えられている。しかし多くの模写が残っており、オリジナルがどういった絵画だったのかを知ることができる。 ミケランジェロの作品にも、同じく現存せず意図的に破棄されたと思われる『レダと白鳥』がある。1529年にフェラーラ公アルフォンソ・デステが、フェラーラにある自身の宮殿のために依頼した、レダと白鳥をモチーフとしたテンペラ画である。この作品のためにミケランジェロが描いたラフ画は弟子のアントニオ・ミーニに渡された。1533年にミーニが死去するまで、フランス人のパトロンのためにミケランジェロのラフ画を模写していたこともあって、このラフ画は百年以上保管されていた。 この絵画の構図は多くの模写、模造によって知られている。コルネリス・デ・ボスの版画(1563年ごろ)、バルトロメオ・アンマナーティの大理石彫刻(バルジェロ美術館、フィレンツェ)、若年のルーベンスがイタリア滞在時に模写した2枚の絵画(1530年ごろ、ナショナル・ギャラリー、ロンドン)などである。1530年ごろに描かれたこの作品で、レダはマニエリスムの特徴とも言える、長く引き伸ばされてねじれたポーズで描かれており(「蛇のような人体 figura serpentinata」)、これはその当時よく見られた表現手法であった。さらにプラドにあるローマ時代の彫刻群はミケランジェロの作品であると、少なくとも19世紀までは信じられていた。 ルネサンス期における最後の有名な『レダと白鳥』は、コレッジョが1530年ごろに描いた、ベルリンの絵画館所蔵の緻密な構成の作品である。この絵画はフランス王ルイ15世の摂政で、絵画収集家としても知られるオルレアン公フィリップ2世が所有していたときに大きな損傷を受けた。彼の息子のルイも熱烈なまでの芸術愛好家だったが、自身の行動に対する周期的な道徳心の高下に悩まされており、あるときこの作品に描かれたレダをナイフで切り裂いたのである。修復はされたものの、完全にもとの状態に戻すことは不可能だった。 レオナルドとミケランジェロの『レダと白鳥』は、どちらもフランス王家が所有していたときに失われた。絵画の所有者の死去後、残された道徳心の強い未亡人あるいは絵画の相続人によって破棄されたものと考えられている。 有名なこれらの絵画のほかにも「レダと白鳥」をモチーフに描かれたルネサンス期の作品は数多い。繰り返し出版されたオウィディウスの著作に描かれた挿絵などが挙げられるが、ほとんどは前述の3作品から派生した構成・構図の作品である。
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