ルネサンス期のプレイヤード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 05:11 UTC 版)
「プレイヤード派」の記事における「ルネサンス期のプレイヤード」の解説
1553年に始動したが、実質的な出発点は1549年に公刊された宣言書『フランス語の擁護と顕揚』(邦訳、1943年)と見なされている。ジョアシャン・デュ・ベレーが執筆したものであり、当時(公用語であるラテン語に対し)俗語とされていたフランス語文学の中に、古典文芸の格調高さ、優美さを取り入れることを主張した。 ピエール・ド・ロンサールやデュ・ベレーを中心とするこの若き詩人たちの集団は、当初「ブリガード」(Brigade, 旅団の意)と称していたが、1556年に古代ギリシャのアレクサンドランの七詩聖にあやかって、プレイヤードと改称した。 17世紀の荒々しい時代にはまれな文化愛好家として知られたマルグリット・ド・ヴァロワはプレイヤード派を通じてウェルギリウスをはじめとした古典作品を読むようになったという。
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