初期の接触 (15 – 18世紀)
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「マレーシアとベトナムの関係」の記事における「初期の接触 (15 – 18世紀)」の解説
現代のマレーシアとベトナムに相当する地域の間の最も古い外交関係は、1469年にさかのぼる。ベトナムの黎朝の兵士たちが、朝貢のため明に向かうマラッカ王国の使節団を捕らえてその一部を殺害する一方、生き残った者たちを去勢して宦官とした。この事件の間、トンキン(ベトナム北部)はマラッカ王国征服の意志を示しており、1481年に使節団を通じて明の皇帝にこの意志を伝えた。明の皇帝はマラッカ王国に対して、似たような攻撃が発生することに備えて兵士を増員するよう命じた。中国の文献によれば、ベトナムは、ラーンサーン王朝の侵略の期間において、マラッカ王国から敗北を喫した。マレー語の歴史書においても、1471年にベトナムがチャンパ王国に侵攻したチャム・ベトナム戦争(英語版) 時にチャム族の王子が自分の部下を連れてマラッカで小さなチャム族の植民地を形成し、1590年代にはジョホールに対して他の地域からの侵略を防ぐべく、ジョホールの軍事支援のために部隊を展開したことが記されている。17世紀中頃、チャンパ王国の傘下にあったパンドゥランガとクランタンの間は、ベトナム側よりクランタンに対しマレー文化とイスラームを学ぶための外交使節団派遣が長期間にわたって行われたことから、密接な外交的結びつきを醸成していった。ポーロメ王 (Po Rome) とその息子ポーサウト王 (Po Saut) 以降の歴代の国王は、17世紀から18世紀にかけて、クランタンからのマレー・ムスリムによる使節団を定期的に受け入れていた。
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