初期の支援・批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:13 UTC 版)
「石油食料交換プログラム」の記事における「初期の支援・批判」の解説
石油食料交換プログラムは、イラクに対する経済制裁のインパクトを和らげる方策と考えられていた。もっとも基本的な批判としては、このプログラムが一時しのぎの方策であり、サッダーム・フセインの立場を強化してフセイン政権の存続を助長しかねない、という批判があった。 もしも経済制裁がイラク人にとって耐えられないものであるなら、プログラムを導入するよりも経済制裁自体を(明らかに軍事用の物資を除いて)取りやめるべきだとする意見もあった。また、軍民両用(en:dual-use)設備のブロックがある以上、石油食料交換プログラムは経済制裁や1991年の湾岸戦争によって破壊された浄水設備や医療システムの復旧をさまたげる、という批判や、このプログラムでは数百万人の死を避けるための食料や医薬品を輸入させることはできないとして、プログラムの基本に異を唱える意見もあった。ハンス・フォン・スポネックを始めとするプログラムの担当者は、経済制裁自体行うべきかについて疑問を発していた。スポネックは2001年末頃にカリフォルニア大学バークレー校で講義を行い、2001年6月にアメリカとイギリスによって提案された、プログラムに変わる新たな制裁「スマート・サンクション」について非難した。「現時点で何が提案されているかといえば、イラクの一般市民の首にかかったロープを締め付けることにすぎない。」と発言し、経済制裁によって一日に150人のイラクの子供たちが死んでいると主張し、さらにイラクが国連やOPECへの参加費支払いを拒絶して交渉の試みを断っているなど、アメリカとイギリスがイラクに対して傲慢になっていると批判した。 プログラムの支持者たちは、石油食料交換プログラムによって出兵することなくフセインを手詰まりに追い込み続けることができるという見方を示した。フランスとイラクはプログラムのさらなる自由化を主張したが、クリントン政権下のアメリカはこれに反対した。
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