出自、出生およびボンでの少年期(1784年-1801年)[0歳-16歳]
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「フェルディナント・リース」の記事における「出自、出生およびボンでの少年期(1784年-1801年)[0歳-16歳]」の解説
神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父フランツ・アントン・リース(英語版)、母アンナ・ゲルハルディーナ・ホルスト(旧姓)の長子として生まれ、1784年11月29日、聖レミギウス教会で洗礼を受けた。 リース家は、祖父ヨハネスの代から、ケルン選帝侯に仕える宮廷音楽家一族であった。同じく宮廷音楽家の血筋であるベートーヴェン家とは、代々、同じ職業集団に属し、同じ界隈に居を構え、同じ境遇の中で数世代を共に歩んできた関係である。 ベートーヴェンとリースの生育環境に関して、大きく異なる点があるとすれば、1点目は父親である。リースの父のフランツ・アントンは、宮廷楽団のコンサートマスターを任されたほどの優秀なヴァイオリニストであり、また「イルミナティ」「読書会」および後年のフリーメイソンなど、ボンの街の自由主義的な文芸・思想グループの中心メンバーであった。アルコールに溺れて宮廷テノール歌手の職を解雇されたベートーヴェンの父ヨハン・ヴァン・ベートーヴェンとは対照的な人物であった彼は、少年期のベートーヴェンにヴァイオリンを教え、ベートーヴェン家の金銭管理を代行するなどの支援を行った。 2点目は、14歳という年齢差がもたらした歴史的事件の影響関係である。長男であるリースは、宮廷音楽家一族の後継者として、音楽の初期教育を受ける。父からヴァイオリンとピアノ、ベルンハルト・ロンベルクからチェロを習い、11歳の時には、父の誕生日のために「弦楽四重奏曲」を作曲した。 ところが、1789年のフランス革命に続き、1794年にフランス革命軍がボンを占拠すると、宮廷は解体。これにより、父は宮廷音楽家の職を失い、リース自身も将来のキャリアを断たれてしまう。父は教師の仕事や収税吏、農業の仕事などで家計を維持しながら、息子に音楽の勉強を続けさせ、1797年にはアルンスベルク在住のオルガニスト、ヨハン・テイルマン・フォン・ペルツァーに師事させた。これはリースの後の旅行人生の礎となる経験ではあったが、教師は能力に欠けており、最後にはリースの方が彼にヴァイオリンを教えるという不毛な結果に終わった。 一方、すでに成人していたベートーヴェンは、フランス軍の占拠直前の1792年にウィーンに旅立ち、ピアニストとして成功を収めていた。「ボンは戦争によって非常に荒廃したので、これからは他の場所で勉強を続けさせるべきである」と判断した父は、かつての弟子である彼を頼る形で、息子をウィーンに送り出すことを決意した。
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