出来町天王祭の山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 06:21 UTC 版)
「筒井町出来町天王祭」の記事における「出来町天王祭の山車」の解説
鹿子神車・徳川園にて(2015年6月) 出来町通を転回中の鹿子神車(2013年6月) 鹿子神車(かしかじんしゃ) 維持管理 - 西之切奉賛会 江戸時代中期の1761年(宝暦11年)に作られたもので、1810年(文化7年)に当時の西之切(2013年現在の新出来一丁目)が譲り受けた。1987年(昭和62年)に大改修を行った。孔雀の総刺繍の水引幕は、下絵が森高雅(森玉僊)の筆によると伝えられている。大幕正面には「新出来町」の町名が入る。 鹿子神車のからくりは、人形が大将人形・中唐子人形・小唐子人形・麾振り人形の4体であり、小唐子人形が台の上で逆立ちして小太鼓を打ち鳴らし、中唐子人形が団扇太鼓を乱打しながら左右へ飛び走る様を見て、大将が軍配を高らかに振る様が演じられる。 鹿子神車は2011年現在で名古屋で唯一の楫方集団である「二番永田組」が本拠としており、山車の取り回しには定評がある。 1973年(昭和48年)に、鹿子神車は名古屋市の有形民俗文化財に指定された。 河水車・徳川園にて(2015年6月) 東区新出来にて転回中の河水車(2013年6月) 河水車(かすいしゃ) 維持管理 - 中之切奉賛会 江戸時代前期の1674年(延宝2年)に若宮八幡社の若宮祭の山車として作られたもので、太平洋戦争の戦災により山車「石橋車(しゃっきょうしゃ)」を失った当時の中之切(2013年現在の出来町三丁目)が1948年(昭和23年)に購入した。水引幕は石橋車に用いられていたものを1990年(平成2年)に復元したもので、唐獅子牡丹が金銀の糸で刺繍されている。大幕正面には「中之切」の町名が入る。 河水車のからくりは、人形が大将・獅子の唐子人形・中人形の唐子・麾振りの4体であり、能楽の「石橋」に由来する獅子舞が演じられる。獅子の唐子人形が首を上下させながら踊り、中人形の唐子が左右に走り動いて太鼓を打つ様子が見ものである。 1973年(昭和48年)に、河水車は名古屋市の有形民俗文化財に指定された。 王羲之車・徳川園にて(2015年6月) 宵の奉曳に向け作業中の鹿子神車(2013年6月) 王羲之車(おうぎししゃ) 維持管理 - お祭囃子保存会 江戸時代中期の寛保年間(1741年〜1744年)に作られたものを1805年(文化2年)に当時の東之切(2013年現在の古出来一丁目)が購入したが、太平洋戦争の戦災で焼失したため1948年(昭和23年)から5年がかりで再建されたもの。麒麟・鳳凰・亀・龍・虎の刺繍をあしらった水引幕を持つ。大幕正面には「古出来町」の町名が入る。 王羲之車のからくりは、人形が山車の名の由来ともなった王羲之大将人形・親木偶人形・子木偶人形・麾振り人形の4体であり、獅子頭をつけた子木偶が、軍配団扇を持った親木偶に手をかけ、逆立ちしをして獅子舞を演じるものである。人形の逆立ちは操作に高度な技術を要し、人形方の腕の見せ所である。また、王羲之車の人形囃子は他の山車で奏されるものと比較しても独特のものである。 1974年(昭和49年)に、王羲之車の人形囃子が名古屋市の無形民俗文化財に指定された。
※この「出来町天王祭の山車」の解説は、「筒井町出来町天王祭」の解説の一部です。
「出来町天王祭の山車」を含む「筒井町出来町天王祭」の記事については、「筒井町出来町天王祭」の概要を参照ください。
- 出来町天王祭の山車のページへのリンク