凱旋門賞 - 引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:44 UTC 版)
その後しばらく出走することはなく、10月にフランスの最高格競走とされる凱旋門賞に直接出走した。デットーリは、自身が騎乗して前哨戦のフォワ賞で2着となっていたバランシーン(ゴドルフィン所有)とラムタラのどちらに騎乗するかを迷っていたが、モハメドに相談した際に「ラムタラを手放すな」と助言され、ラムタラを選択した。バランシーンの鞍上には、デットーリに代わってスウィンバーンが据えられた。 戦前のモーニングライン(予想オッズ)で1番人気となったのは日本の吉田照哉が所有するカーリングで、他にもフォワ賞を制した前年度優勝馬カーネギー、デビュー以来5連勝中のスウェインなどが名を連ねたが、ラムタラは競走当日の単勝オッズで1番人気に支持された。レースでは好スタートから初めて先行策を見せ、ペースメーカーのルソーに次ぐ2番手を進んだ。レースはそのまま推移したが、デットーリはスローペースによって、優れた瞬発力を持つ馬に直線で一気に交わされることを危惧し、全体のペースを上げるため、ロンシャン競馬場特有の「フォルス・ストレート」からスパートを掛けた。最後の直線半ばでは上がってきたフリーダムクライにクビ差まで迫られたが、ラムタラはそこから再度の伸びを見せ、ゴールでは同馬の追走を1馬身振り切って優勝。1971年の優勝馬ミルリーフ以来、史上2頭目(無敗馬としては史上初)の、欧州3大レース(日本のみヨーロッパ三冠と呼ぶ)完全制覇を果たした。 競走後、デットーリは涙を見せながら「この馬はライオンの心臓を持っている。我慢し、全力で走り、戦った。これまでで、僕が知っている最高の馬だ」と語り、記者から「これまで乗った馬、見たことのある馬の中でラムタラがベストの馬か」と問われると、「もし、この馬より強い馬がいるというのなら、ぜひ乗ってみたいものだね。ラムタラは、僕たちが長らく出会ったことのなかった、最高の馬だ」と答えた。表彰式でオーナーのサイード・マクトゥーム・アル・マクトゥームに代わってラムタラの引き手を握ったシェイク・モハメドは「ダービーの日と同じように、今日は最高の気分だ。こんな気持ちになったのは、私のレース経験で初めてのことだ。ラムタラは素晴らしい。私が知る限りではベストの馬だ」と語った。サイード・ビン・スルールは言葉が見つからず何も語らなかったが、彼の代理としてゴドルフィン・レーシングマネージャーのサイモン・クリスフォードは「ラムタラは、我々が勝つために必要だと考えていたことをすべてやってくれた。ダービーの頃は子供っぽくて、小さなスクールボーイのような馬だったのに、今日の彼は完璧なレーシング・マシンだった。彼の課題はレース経験の少なさだった。キングジョージの後、我々はその欠点を克服しようと試み、そして成功した。動きも一段と良くなり、我々は凱旋門賞でいいレースができるという自信を持つことができた」と代弁した。 その後は生国アメリカのブリーダーズカップ・ターフに出走するプランもあったが、レース間隔が短かったために出走を見送り、競走10日後の10月11日、競走生活からの引退と種牡馬入りが発表された。1カ月余り後にはヨーロッパの年度表彰・カルティエ賞の選考結果が発表されたが、ラムタラは最優秀3歳牡馬に選出されたものの、年度代表馬はマイル戦線でGI競走4勝を挙げた牝馬・リッジウッドパールが選出され、論議を呼んだ(後述)。
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