凱旋門賞の状況
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第二次世界大戦が終わってから、凱旋門賞の賞金は大幅に加増され、1949年には空前の2500万フランにも達していた。以来、毎年のように世界各地の一流馬が凱旋門賞に登録してきたが、実際に出走までこぎつけたものはそう多くはなかった。しかし一方で、高額の国際競走の創設に刺激を受け、世界の各地で似たような国際競走が開催されるようになった。 凱旋門賞でも例年、ヨーロッパ各国から競走馬が集まるようになっていたが、それは必ずしも各地の一流馬が集まっているわけではなかった。ふつう、能力が図抜けた優勝候補がいる場合には、わざわざ負けに行くよりも別の競走に出走させたほうが馬主にとっては合理的だった。しかし、1965年は地元のフランスにシーバード、リライアンスという2頭の有力馬がいたのだが、外国のチャンピオンホースのオーナーからすると、この2強は全く敵わない相手ではないように思われた。その結果、ヨーロッパのみならず、アメリカやソビエトから、各地のチャンピオンが集まることになった。 ヨーロッパとアメリカの主要な馬主が揃って最高の馬を出走させたのは、この競走の創設以来初めてのことだった。 — 『フランス競馬百年史』p.200より この1965年は、グラディアトゥールがフランス産馬として初めてイギリスのダービーを制覇してからちょうど100年目にあたる記念の年だった。そのような年にイギリスダービーを圧勝したフランス馬シーバードが登場したことは、フランス馬産界にとって幸運なめぐり合わせと思われた。
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