凱旋門賞遠征 - 有馬記念2着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:00 UTC 版)
「タップダンスシチー」の記事における「凱旋門賞遠征 - 有馬記念2着」の解説
宝塚記念優勝後の6月30日に、日進牧場へ放牧。次なる目標は、フランスの凱旋門賞に定まっていた。凱旋門賞挑戦は、前年秋のジャパンカップ優勝直後に佐々木が「凱旋門賞へ行きたい」と言い出したことで検討されはじめた。そしてこの年の春、金鯱賞をレコードで勝利したことで正式に参戦が決定した。放牧から1週間程度でBTCへ移動し、凱旋門賞への調整を開始した。佐々木は、日本で十分に仕上げてから、直前で輸送する方式を採用し、9月26日に出国、翌27日に現地着。10月3日の凱旋門賞に出走するという遠征計画が立てられた。9月7日、北海道での放牧から栗東に帰厩し、調整が更なる調整が施された。9月20日には、栗東の検疫厩舎に入厩、23日に追い切りを行った。この後は、26日に関西国際空港から出国し27日に到着、現地ではジョン・ハモンド(英語版)厩舎に滞在する予定であった。しかし、タップダンスシチーが納まるはずだったカーゴ便が故障、さらに代替便も用意することができなかった。26日の次の便は29日であったが、陣営はうまく調整できないと判断、出走断念を発表した。 ところが、出走を望むファンの声が大きかったことから、陣営は一転して出走目指し、予定を再構築して実行。29日に栗東で最終追い切り、10月1日に成田国際空港から出国し同日午後に到着、ハモンド厩舎に入厩した。レース前日となる2日、馬体重は宝塚記念と比べて3キロ減に留まり、輸送の疲労は見られなかった。フランスに来ていた厩舎未開業の調教師矢作芳人は、その姿を「入厩したばかりというのに、しっかりと常足で落ち着いて歩いている」と評しており「これならやってくれるかも!」と考えていたと振り返っている。開催されるロンシャン競馬場の下見に訪れた佐々木は、馬場状態を「向正面が小倉の開幕週、直線は札幌の開幕週」、佐藤は「JC(ジャパンカップ)や宝塚(記念)の時の方がしんどそうな馬場やったし、大丈夫(カッコ内補足加筆者)」と捉えていた。 10月3日、凱旋門賞(G1)に出走、この年は有力馬の回避があって「大混戦」(石川ワタル)と見られていた。そんな中タップダンスシチーは、現地で12.6倍の7番人気に支持される。前日まで良い状態を保っているように見えたタップダンスシチ―は、当日の輸送を経てテンションが高くなってしまい、パドックでは以前のように二人引き、悪癖「タップダンス」を披露してしまった。矢作によればその姿は「昨日の馬とは別馬のような印象」だったという。スタートから先行し、直線で逃げ馬に並びかけたが失速。勝利した現地6番人気のバゴに17馬身後れを取る17着となった。佐々木はこの遠征を振り返り、「またチャンスがあるとすれば、この馬に限っては最初のプランでスケジュールを組むよ。今度は6時間以内に代替機が用意できる保険もかけてね」と振り返っている。 帰国後、日進牧場で検疫。年内で引退することが決定し、有馬記念を引退レースとすることが発表された。11月25日に帰厩、「七分(中略)あと2週ぐらい欲しい」状態で26日の有馬記念(GI)に参戦。有馬記念4日前の22日には、引退宣言を撤回、次年度も現役を続行することが発表された。天皇賞(秋)とジャパンカップを連勝していたゼンノロブロイが2.0倍、皐月賞およびジャパンカップ2着のコスモバルクが7.0倍、タップダンスシチーはそれに次ぐ8.8倍の3番人気であった。スタートから単騎で逃げ、最終コーナーを後方との差を広げながら通過。直線でゼンノロブロイにかわされたが粘り続けた。ゼンノロブロイが日本レコードを樹立して優勝。その0.1秒後、半馬身差の2着となった。
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