凱旋門賞開催日の充実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
1957年はロンシャン競馬場開設100周年の記念の年となった。この記念の年に、凱旋門賞をより華やかにするための2つの新しい競走が創設された。一つは2歳以上のスプリント戦、アベイ・ド・ロンシャン賞で、もう一つは3歳以上のマイル戦、ムーラン・ド・ロンシャン賞である。どちらも超高額な賞金を用意した大レースだったが、世界を驚かせたのは凱旋門賞の1着賞金で、この年から賞金は一挙4000万フランに加増された。 高額賞金に惹かれて、イギリス、フランス、アメリカ、アイルランド、イタリア、ドイツ、といったおなじみの国のほか、ベルギー、ノルウェー、アルゼンチン、ベネズエラからも登録があった。この年の勝者は53倍の大穴、オロソ(Oroso)で、2着には46倍のドニジイ(Denisy)、3着に30倍のバルボ(Balbo)が入って大波乱となった。オロソに騎乗したのは軍服姿の兵役中の若手騎手で、この騎乗のために特別に1日の休暇を許されたのだった。オロソは1942年の凱旋門賞でジェベルに惨敗したティフィナールの子だった。
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