ジャパンカップ優勝
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「タップダンスシチー」の記事における「ジャパンカップ優勝」の解説
11月30日、ジャパンカップ(GI)に出走。サンクルー大賞連覇に加えて、香港ヴァーズを勝利したフランスのアンジュガブリエル、ブリーダーズカップターフ勝利から臨むアメリカのジョハー(英語版)、コックスプレートを勝利したオーストラリアのフィールズオブオマー(英語版)、前年のジャパンカップ2着のサラファンなど外国調教馬9頭に、日本調教馬9頭を加えた18頭が集結した。外国調教馬はアンジュガブリエルの3番人気12.1倍が最高であった。1番人気は天皇賞(秋)で連覇を果たしたシンボリクリスエスが1.9倍、ネオユニヴァースが7.0倍。アンジュガブリエルを挟んだ4番人気13.8倍がタップダンスシチーであった。前日から雨が降った影響で当日は不良馬場で始まり、第9競走で1段階回復。第10競走ジャパンカップは、11年ぶりに重馬場での開催となった。 1枠1番からスタート次第飛ばし、後方との差を広げて単騎で逃げた。2コーナーで後方に「4馬身から5馬身」のリードを作り、向こう正面から第3コーナーを経ると、リードは10馬身まで拡大した。先頭を保ったまま直線コースに進入。残り600メートル地点からのタップダンスシチーは、37.4秒の末脚を発揮した。一方後続は、例えば最速のネオユニヴァースでも37.0秒に留まり、リードはそれほど縮まらなかった。菊花賞優勝から臨んだ5番人気ザッツザプレンティに9馬身差をつけて先頭で入線する。 JRA-GI史上最大着差レース優勝馬差2003年ジャパンC タップダンスシチー 9馬身 1987年桜花賞 マックスビューティ 8馬身 1987年阪神3歳S サッカーボーイ 1994年菊花賞 ナリタブライアン 7馬身 2001年ジャパンCダート クロフネ 1987年東京優駿 メリーナイス 6馬身 GI初優勝。1984年カツラギエース以来19年ぶり、レース史上2例目となる逃げ切り勝利。またザッツザプレンティと9馬身差の決着は、1998年優勝のエルコンドルパサー、2着エアグルーヴの「2馬身半」を上回る、レース史上最大着差記録。さらに、JRA-GI史上最大着差記録を樹立した。加えて、友駿ホースクラブは、ゴールドシチーの1986年阪神3歳ステークス以来17年ぶりのGI勝利、佐藤はマイネルマックスの1996年朝日杯3歳ステークス以来7年ぶりのGI勝利。1994年厩舎開業の佐々木は、10年目でGI勝利となった。 ジャパンカップは、佐藤及び佐々木にとって縁のあるレースであった。佐々木は、アメリカ調教馬メアジードーツが制した1981年、第1回ジャパンカップを見て、騎手時代に最も騎乗したかったレースだったが、叶わぬ引退。調教師となってからも、最も管理馬を出走および勝利させたい、東京優駿(日本ダービー)よりも出走および勝利させたいレースと志しており、それを初出走で勝利まで叶えた。また佐藤は中学生の頃、日本調教馬カツラギエースが制した1984年、第4回ジャパンカップをテレビで見て騎手を志しており、19年後にカツラギエースと同じ戦法で勝利まで叶えている。佐藤は、この逃げ戦法について、発走直前の返し馬の際に、この重馬場で2、3番手追走すれば「ノメってしまう」と考えたためであった。 その後は、12月28日の有馬記念(GI)に出走。ファン投票では第5位となる8万852票を集めた。2.6倍のシンボリクリスエスに次ぐ、3.9倍の2番人気に支持された。シンボリクリスエスが9馬身差、タップダンスシチーの史上最大着差記録タイで優勝する一方、13馬身以上後れをとる8着となった。
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