ジャパンカップの2着激走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:59 UTC 版)
「キョウエイプロミス」の記事における「ジャパンカップの2着激走」の解説
天皇賞を勝ったことで、陣営は次走にジャパンカップを選択した。この年19年ぶりに三冠を達成したミスターシービーの出走が望まれていたが、シービーは出走しないことが発表された。 これにより日本の競馬関係者、ジャパンカップに来日した世界各国のプレスを落胆させるが、高松は「なぜ三冠を達成した日本の最強馬が出走しないのか」と詰め寄る世界各国のプレスらに「ですから(日本の最強馬として)キョウエイプロミスがあなた方の馬のお相手をするわけです。」と答え、柴田も「パーフェクトな状態。堂々と勝ちに行きます!」と外国馬とも互角に戦える万全な状態と答えた。一方で高松は「プロミスの脚が壊れる」とこのレースが最後になることも予感していた。 迎えたジャパンカップにおいてスタネーラと頭差(タイム差なし)の2着となり、日本馬として初の連対を果たした。鞍上柴田も納得した走りに思わずスタネーラの鞍上B.ラウスに鞭越しに賞賛を送った。 しかしながらその激走の反動は大きく、高松の予想通りキョウエイプロミスはレース中に右前脚繋靱帯不全断裂を発症。コースからは馬運車で退場する事となり、競走能力喪失と診断されそのまま引退となった。 競馬評論家の大川慶次郎は天皇賞後にキョウエイプロミスの勝ちっぷりから外国馬と互角に戦えると確信し、実際スタネーラの叩き合いの際、興奮の余り実況で「プロミス!プロミス!」と連呼していた。この天皇賞とジャパンカップ2着が評価され、1983年には優駿賞最優秀5歳以上牡馬を受賞している。
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