全国学生自治体連絡協議会の結成とは? わかりやすく解説

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全国学生自治体連絡協議会(全国学協)の結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/10 03:14 UTC 版)

反憲法学生委員会全国連合」の記事における「全国学生自治体連絡協議会全国学協)の結成」の解説

1966年昭和41年)、左翼学生による長崎大学西町学生会館占拠批判し、“学園正常化”の運動起こした学生たちが1967年昭和42年7月長崎大学学生協議会(略称は「長大学協」。椛島有三議長)を結成。 これが長崎大学から九州他大学へも広がり1968年昭和43年3月九州学生自治連絡協議会(後に「九州学生協議会」と改称。略称は「九州学協」)が、1969年昭和44年5月には、九段会館1800名の代表を集め全国学生自治体連絡協議会(後に「全国学生協議会連合」と改称。「全国学協」)が結成された。 学協は、やがて学園紛争生み出した戦後」という時代そのものへの批判開始、「米ソによる世界支配」と「日本永久に敗戦国として固定化せんとする戦後体制打倒の「反ヤルタ、反ポツダム論」(反YP論)を政治路線として掲げ、「核拡散防止条約」(当時は「核防条約」といった)に対しても「米ソによる核エネルギー独占支配」として、締結及び批准阻止闘争行ったまた、本来「量的次元」に還元してならない質的分野まで数量的合理的に解析説明しようとする「ヨーロッパ近代思想自体問題とし、左翼の「反近代論」に対しても「単なる反資本主義言い換えに過ぎない」と批判資本主義社会主義国家主義等の「近代思想根源的克服し、「日本人としての真の生を回復する」という「反近代文化防衛」論を主張した1970年昭和45年11月3日には学協OBによって「日本青年協議会」(略称は「日青協」。略称が同じ「日本青年団協議会」とは全くの別組織)が結成された。これによって学生戦線加え新たに社会人戦線構築され、より具体的な政治活動基盤となった

※この「全国学生自治体連絡協議会(全国学協)の結成」の解説は、「反憲法学生委員会全国連合」の解説の一部です。
「全国学生自治体連絡協議会(全国学協)の結成」を含む「反憲法学生委員会全国連合」の記事については、「反憲法学生委員会全国連合」の概要を参照ください。

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