全国学協結成まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/01 02:50 UTC 版)
「生長の家学生会全国総連合」の記事における「全国学協結成まで」の解説
生長の家は、戦後になり生長の家学徒連盟が結成され、高校生や大学生の信徒が組織化されていた。この生長の家学徒連盟がのちに単位宗教法人格を有し、生長の家青年会となる。その後、各地の生長の家の高校生信徒が結成した「理想世界の集い」を束ねる組織として生長の家高校生連盟(生高連)が結成された。 生学連は生高連のOBらによって結成された。生長の家の真理を広めることを目的に結成されたが、教団が優生保護法反対運動を展開するにしたがって政治色が強くなり、のちに教団内部で「飛田給派」という一大派閥を作って「本部派」と対立するようになった。 詳細は「生長の家本流運動」を参照 当初は、椛島有三(長崎大学)が立ち上げた全国学生自治体連絡協議会(全国学協)にも参加するなど、右派色が強い組織であり、のちに保守派の活動家となる高橋史朗(早稲田大学)、鈴木邦男(早稲田大学)らを輩出した。全国学協結成時点では、後に生長の家青年会会長となる森田征史(大学未詳)が委員長であった。このとき、全国学協の委員長には鈴木が、書記長には安東巌(長崎大学)が選出されるなど、全国学協の結成に主導的な役割を果たした。だが、日本学生同盟との距離を巡って執行部内部で対立があり、全国学協委員長で生学連書記長でもあった鈴木が運動から離脱するという事態を招いた(後述)。
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