全国学協と日学同
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 06:54 UTC 版)
全国学協と日学同は当初友好協力関係にあり、一時は民族派全学連(結成準備委員長犬塚博英)の結成まで準備されていたが、長崎大学学生協議会による自治会選挙の勝利を自らのセクトの功績であるかのように日学同が機関紙で報じた頃から次第に関係は悪化した。 三島憲法裁判闘争では、裁判所の周辺で、除名した森田必勝の遺影を日学同が掲げたため、「売名行為はやめろ!」と学協側が殴りかかり、乱闘事件にまで発展している。学協にも森田の知己は多かった。 21世紀初頭現在の社会人運動においては、日学同や全国学協出身の政治家や政治活動家の多くが協力関係にあり、過去を蒸し返すような行為はほとんど見られない。特に日学同出身の地方議員は数も多く活動も活発である。
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