保存と移転を巡る展開とは? わかりやすく解説

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保存と移転を巡る展開(1989-2008)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:19 UTC 版)

旧鳥羽小学校校舎」の記事における「保存と移転を巡る展開(1989-2008)」の解説

1989年平成時代に入ると、モルタル剥離雨漏りが目立つようになり、校舎の建て替え検討された。2000年平成12年7月16日には市の計画具現化する前に住民要望行政届けようと「ボランティア創る鳥羽小建設を考える会」が初会合を行い校舎良い点と悪い点列挙された。2002年平成14年12月鳥羽市校舎改築打ち出したが、その後の調査設計者清水栄二であることが判明しPTA同窓会現校舎保存しよりよい所へ新校舎建設し移転するよう声を上げた2003年平成15年)の時点では、市側は適当な校地確保できないとして改築姿勢崩していなかったが、2004年平成16年1月8日年頭記者会見井村均市長用地交渉中であることを公表した。この時の予定地は鳥羽一丁目神鋼電機(現・シンフォニア テクノロジー鳥羽工場敷地一部であり、土壌調査まで行われたが、反対の声が上がり6月白紙撤回された。これに代えて2005年平成17年1月東急不動産所有する小浜町ホテル跡地候補挙がったが、これも市民賛同意見少なく断念された。この頃校舎雨漏り激しく3階講堂教室では、バケツ雨水受け止めて凌いでいる状態であった2006年平成18年3月になって堅神町民有地選定され、ここで決着した移転地が決定すると、校舎保存解体問題再燃した2007年平成19年5月9日には「鳥羽現校舎保全活用進める会」が校舎保存求めて市長要望書提出2008年平成20年6月2日には校舎保存求める7,505分の署名簿が市議会提出された。同年12月1日木田久主一市長校舎保存正式決定したと発表し12月22日現役校舎としての役割終えた80年使われたこの校舎からは約13,300人が卒業していった。この間雨漏り対策や床の張り替えなど大小合わせて33件の補修が行われた。

※この「保存と移転を巡る展開(1989-2008)」の解説は、「旧鳥羽小学校校舎」の解説の一部です。
「保存と移転を巡る展開(1989-2008)」を含む「旧鳥羽小学校校舎」の記事については、「旧鳥羽小学校校舎」の概要を参照ください。

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