保存と焼失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 08:58 UTC 版)
承政院の注書・仮注書は、毎日承政院の日記を書いたが、毎月の日記は、翌月の案件を書いて完成して保存した。元来朝鮮開国以来の日記があったのだが、文禄の役の時(1592年、宣祖25年)に焼失し、1623年(仁祖1年)までの日記も、李适の乱(朝鮮語版)で益々失われた。その後文禄・慶長の役以後の日記を改修したが、1744年(英祖20年)承政院の火災で文禄・慶長の役直後から1721年(景宗1年)の記録が焼失して、1746年(英祖22年)日記庁を設置して改修したが、本来の冊数の3分の1にも至る分量を改修する量があった。また英祖時代の承政院日記中の壬午年の日(壬午禍変)と関連する内容は、世孫の正祖に請われて洗草(抹消、破棄)になった。そして1888年(高宗25年)に再び火災で1851年(哲宗)から1888年(高宗25年)までに日記361冊が焼失したが、再び改修した。その他に多くが紛失と火災を受けて改修を繰り返し、改修された時代の原本の内容をどの程度変えたか知る術はない。
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