伝承の背景「文殊菩薩信仰」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:15 UTC 版)
「九世戸縁起」の記事における「伝承の背景「文殊菩薩信仰」」の解説
寺伝によれば、智恩寺の本尊である文殊菩薩は、高麗時代の金鼓とともに海中から出現したとされ、智恩寺には海中から湧き出でるように描かれた地蔵菩薩画が残されている。天橋立の「海に面した景勝地で、大陸に近い」という自然条件が、当地において文殊菩薩信仰が生まれ、発展した理由と考えられる。 「九世戸縁起」に語られるように、文殊菩薩の聖地とみなされる地所は、宮津湾を中心として丹後各地に点在している。 古文書『九世戸縁起』を所蔵する智恩寺は、天橋立の南先端部の対岸に位置し、宮津湾を挟んで東南の波路に戒岩寺がある。「九世戸縁起」で、智恩寺の前に文殊菩薩が滞在したとされる戒岩寺は「切戸の文殊の奥院」とも称され、その本尊は文殊像である。智恩寺の文殊像は鎌倉時代の作であるが、戒岩寺の文殊像の制作年代は平安時代中~後期まで遡ることができる。ただし戒岩寺は中世に火災に遭い、文殊像は大規模な修理によって著しく本来の姿が損なわれてしまった。1990年(平成2年)の解体修理で制作当時の姿に復元されている。 戒岩寺のやや北方には、文殊の乗り物である動物の「獅子」や「獅子崎」の地名が残り、これらの地も文殊の聖地と数えられる。さらに周辺地域には、与謝野町の雲岩寺や京丹後市の経ヶ岬、穴文殊などの聖地がある。 丹後地方の近海には、対馬海流が流れている。歴史学者の和田萃によれば、古来、海流の彼方には不死の世界や常世の国があると考えられ、神仙思想に通じていたという。丹後地方の沿岸には、『浦島子』伝承など海岸が舞台となっている伝説や民話が「九世戸縁起」のほかにも多数あり、漁業や航海での海での遭難や遠方からの漂流者や漂着物との遭遇が、海流の彼方にある異境を意識させ、伝承の素材となった可能性が指摘されている。 海岸漂着物は、今日では厄介なゴミと見做されてしまうが、かつては「寄りもの」と呼ばれ、流れ着いた木材で家を建てるなど、重要な生活の糧ともなっていた。なかでも昔から漂着物の多い地域といわれた京丹後市久美浜町から網野町に至る約6キロメートルの海岸「箱石浜」には、海から拾った千両箱のおかげで長者になった者が住んでいたという伝説が残る。 丹後半島同様、海岸沿いに文殊菩薩の聖地が形成された場所として、日本ではほかに高知市の浦戸湾に面する五台山竹林寺がある。また、京都市の醍醐寺や大阪の叡福寺には、獅子に乗った文殊菩薩が海を渡る様子が描かれた「渡海文殊図」が伝わり、文殊菩薩信仰と海との関係を物語っている。
※この「伝承の背景「文殊菩薩信仰」」の解説は、「九世戸縁起」の解説の一部です。
「伝承の背景「文殊菩薩信仰」」を含む「九世戸縁起」の記事については、「九世戸縁起」の概要を参照ください。
- 伝承の背景「文殊菩薩信仰」のページへのリンク